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「母たちの神」

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 NHKの日曜美術館で最近取り上げられ、前々から気になっていた本’比嘉康雄写真集「母たちの神」’が、ジュンク堂から届く。「母たちの神」は、奄美大島から与那国島までの4諸島の祭祈を撮った162点の作品からなる。

人々は、魂の不滅を信じ、魂の帰る場所、そして再生する場所を海の彼方のニラーハラーに想定し、そこから守護神を持って島の聖域に立ち返る母神の存在に守護を頼んでいる。この「母たちの神」は、「生む」「育てる」「守る」という母性の有り様の中で形成された、つまり、内発的、自然的で、生命に対する慈しみがベースになっている「やさしい神」である。この母性原理の文化は、父性原理の文化がとどまることを知らず直進を続けて、破局の危うさを露呈している現代を考える大切な手がかりになるであろう。「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」前書きより
 
 沖縄は、JIA愛媛地域会の会長時代に、沖縄全国大会で始めて訪れた。
メンバーより一日早く付いた私は、首里城や歴代王の墓、町を散策、気候風土、植生ももちろん本土とは異なり、歴史的遺産を見ても本土の建築とは相違点が多い。何か文化的にも大きく違う民族が住み着いた島であると感じた。
 
 首里、那覇は別として儒教も仏教も庶民に根付くことはなかった。女性中心の祭祈が琉球の島々にだけ残っているということと、そのことは深く関わっていると思われる。本土にある女人禁制の風習は、沖縄ではまれに見られるものの、御嶽は母たちの原郷であり女性だけが入ることができる。男性は「禁制」である。日本文化と沖縄文化の大きな違いである。
比嘉氏の語る「母性」とはまさに他では失われた原初的「母性」ではなかろうかと思う。
安里英子の書評より

仲松弥秀著の「古層の村」の結語で、「沖縄にはいまだに神の村々が残っている。しかし、悪貨は良貨を駆逐する。沖縄の島々にも、文明などと称する仮想悪魔が濤々と押しかけてきた。やがて、人を見たら盗人と思えの島々と化して行くのであろう。島の神々は恋しくも一時姿をくらましていくであろうが、でも何時の日にか再び!」というのがある。
 
 普天間を県外にと懇願する仲井眞知事、アメリカ軍の極東防衛の要は日米安保上、アメリカの要求も理解できる。しかし、「母たちの神々」が守る神聖な島の背景を思うときもうこれ以上という気持ちも沖縄県民だけではないと思う。



沖縄についての記述
紀元前から西暦1000年くらいまでの沖縄の歴史は、謎に包まれていて日本や中国の書物に断片的に記されている情報からしか読み取ることができません。

神話的な言い伝えになりますが、沖縄の始まりは久高島にあると言われています。久高島に上陸したアマミキヨ、シネリキヨの二柱の神が土地を造成し、島となり、それから琉球開闢七御嶽をつくり、島に人間を放ったとされた伝説です。

沖縄が歴史に登場したのは610年のことです。610年に沖縄を探検した随の海軍の提督は、時の皇帝煬帝に「琉求人は勇敢で戦好き。負けると和を乞い、戦死者を収容して共に食う」と報告したことが中国の書物に残されています。この情報は遣隋使であった小野妹子にもつたわり、「琉求は食人国(しょくじんこく)」と大和朝廷に伝えられたのです。

文字が「琉求」となっているので、これは沖縄ではないという説もありますので、真相は定かではありません。また、人肉食習慣(カニバリズム)は現代では信じられないことですが、古代世界では「死んだ者を食べると、その人は食べた人の中で永遠に生きつづけると言う信仰」は世界各地で見られました。神聖な儀式とされていたのです。

日本の国史に初めて登場したのは753年のことです。遣唐使が初めて沖縄に流れ着き、住民の発音から「阿兒奈波(おこなは)」と名付けられました。以降、遣唐使の船は沖縄に度々漂着することとなり、「大和」と「唐」の存在を沖縄に知らしめることになりました。

Today's CD
Trio Music Live in Europe: Touchstones Series
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by takechihome | 2011-01-04 23:26

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