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The Proms BBCプロムス

2000年のプロムス ラストナイトコンサートは特に印象に残っている。
アンドリューデイビスがBBC最後の指揮であった。デビューしたばかりのヒラリーハーンの演奏も若々しく素晴らしい。アンコールは、エルガーの威風堂々、イギリス国家で盛り上がる。

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ザ・プロムス(The Proms BBCプロムスとも)はイギリス・ロンドンで毎年夏開催される、8週間におよぶ一連のクラシック音楽コンサート・シリーズである。

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ロンドンのサウス・ケンジントン近隣、シティ・オブ・ウェストミンスターにあるロイヤル・アルバート・ホールを中心に100以上のイベントが行われる、世界最大のクラシック音楽祭である。

プロムス(Proms)は「プロムナード・コンサート」の略であり、その語はこのコンサート開始当初に聴衆がそぞろ歩いていた(promenading)という習慣に由来している。今日では噴水のオブジェが中央に設けられたギャラリー席に及びアリーナ席の立見区画(チケットは通常席と比べて廉価である)での聴衆の行動を"Promming"なる語で形容したりもする。一部の例外を除けば、こうした立見席のチケットはコンサート当日のみの発売となっているため、人気演奏家あるいは著名作品の演奏においてはチケットを求める長い列ができることになる。

足繁く通う「プロマー」は当日売りでなく、1シーズン通し、あるいは半シーズン通しのチケットを購入することも可能だが、立見区画内での立ち位置の指定まではできない。プロマーの中には皆勤に執心する人たちも多く、全コンサートを聴いた記念のバッジあるいはTシャツを身に着けている者もいる。1997年のBBCのテレビ・ドキュメンタリー「モダン・タイムス」ではこうした熱狂的聴衆を特集した。

歴史
最初の「プロムス」コンサートは1895年8月10日、ロンドン、ランガム・プレイスにあったクイーンズ・ホールで開催された。企画者、ロバート・ニューマンの考えは、通常はクラシック音楽のコンサートを訪れないような人々も、チケットが安く、より親しみやすい雰囲気であれば魅力を感じてくれるのではないか、というものだった。こうして当初は「Promenading(歩き回る)」だけでなく、飲食および喫煙がすべて自由とされた。

そして、指揮者ヘンリー・ウッドこそがこのプロムスを有名にした最大の立役者だった。彼は第1回のコンサートより指揮者として参加しており、回を重ねるに従ってレパートリーの拡大に貢献した。1920年代までには、それまでのよりポピュラーで、かつ演奏の容易な曲目から、同時代の作曲家、例えばドビュッシー、リヒャルト・シュトラウス、ヴォーン・ウィリアムズなどの作品が演奏されるまでになった。ウッドの功績を記念して、彼のブロンズ製の胸像はプロムス開催期間にはオルガンの前に据えられる(本来は王立音楽アカデミーに収蔵されているもの)。

1927年には、BBC(クィーンズ・ホール向いのブロードキャスティング・ホールに本部があった)がプロムスの運営を引き継いだ。1930年にBBC交響楽団が組織された際には、それがプロムスの中心的オーケストラとなった。この頃は、月曜日はヴァーグナー、金曜日はベートーヴェンといったように特定の曜日に特定の作曲家を特集するような編成がとられており、また日曜日は休演となっていた。

1939年9月にイギリスが第二次世界大戦に参戦すると、戦時体制下に置かれたBBCは運営から手を引くことになったが、プロムス自体は民間のスポンサーを得て続行した。これは1941年に、クィーンズ・ホールが空襲で破壊されるまで継続する(現在同所にはセント・ジョージズ・ホテルが建っている)。翌1942年にはプロムスは現在と同じロイヤル・アルバート・ホールに移動、そしてBBCが再び運営に当たることになった。

第二次世界大戦後の経済困窮時も継続され、1950年代より、客演オーケストラ数は次第に増加、また1963年のレオポルド・ストコフスキー、ゲオルグ・ショルティ、カルロ・マリア・ジュリーニなど国際的な指揮者、またモスクワ放送交響楽団を初めとしてイギリス国外オーケストラの出演も活発となった。

中心的なレパートリー演目、古典的な曲目と並んで、プロムスでは特に委嘱した新作音楽の初演も数多く行われている。よりよい形態を目指しての改革も継続中であり、近年では開演前のトーク・ショー、ランチタイムの室内楽コンサート、子供のためのプロムス、プロムス・イン・ザ・パークなどの新企画が登場している。イギリス国内にあっては全てのコンサートがBBC・ラジオ3で生中継され、またテレビでもBBC4チャンネル、あるいはBBC1(主チャンネル)やBBC2での中継放映も多い。BBCプロムス・ウェブサイトでライブ中継を聴取することも可能である。また、最終夜(以下で詳述)は多くの国(日本ではNHK衛星第2テレビジョン)で中継放送されている。

最終夜「The Last Night of the Proms」
イギリス国内ではその模様はBBC2チャンネルで前半、BBC1チャンネルで後半部分が中継されるのが通例となっている。伝統的に最終夜はより軽く、くつろいだ傾向の構成で、初めにポピュラーなクラシックの曲目、続いて第2部の最後に一連の愛国的な曲である「ルール・ブリタニア」、ヒューバート・パリーの「ジェルサレム」(ウィリアム・ブレイクの詞による)、エドワード・エルガーの「威風堂々」第1番が演奏される[1]。

当夜のチケットは高人気である。それ以外のコンサートの少なくとも5回のチケット購入を行うこと(「Five-Concert Rule」と呼ばれる)が最終夜のチケットを獲得するための条件となっている。そして「プロマー」たちは当日のより良い立ち位置を確保するため早くから行列(しばしば徹夜での行列)することとなり、こういったことが否が応でも雰囲気を盛り上げていく。加えて、素敵に着飾ることも恒例である。ディナー・ジャケットの者もあり、サッカーのイングランド代表チームのユニフォームを着用する者もあり、愛国的な語句を並べたTシャツを着用する者もあり、さらに(国や地域などの)旗や風船、クラッカーを持って入場することも自由である。一連の愛国的な曲は、旗を持つ者はそれを振り、聴衆全員で歌うのが慣例となっている。特に「ルール・ブリタニア」と「希望と栄光の国」の歌詞がつけられた「威風堂々第1番」はサビの部分は必ずアンコールとなる。ヘンリー・ウッドの「イギリスの海の歌による幻想曲」(最終夜の定番の1つである)が演奏されるときは「水兵のホーンパイプ」による3曲目も必ずアンコールされる。最後の最後に場内の全員が起立して「ゴッド・セーヴ・ザ・クイーン(キング)」を斉唱し、この時は楽団員も立ったまま演奏する。その後聴衆と舞台上の合唱団が隣の人と腕を組み、楽器なしで「Auld Lang Syne(蛍の光)」を歌う。最近は一連の愛国的な曲や国家の演奏時にヘンリーウッドの胸像を中心にイギリス国旗(ユニオン・フラッグ)(ただし上半分)が投影されるようになった。この時ソリストが歌唱する場合は、衣装のデザインを愛国的にしたり、愛国的なパフォーマンスを行うこともしばしばである。例えば2008年のブリン・ターフェルは袖にアイルランドとスコットランドの旗、襟にイングランドの旗とイギリス国旗、胴にウェールズの旗をあしらった衣装を着用、2009年のサラ・コノリー(en:Sarah Connolly)はネルソン提督の衣装(レプリカ)を着用し、刀身がイギリス国旗になっているサーベルを抜いて振る[2]、といったものであった。

当夜、ヘンリー・ウッドの胸像は「プロマー代表」の献ずる月桂冠で飾られ、またその代表はウッド卿の禿げ上がった額の汗を拭う仕草をする慣例である。コンサートも終盤に差し掛かると、指揮者は時にユーモアを交えつつ音楽家と聴衆に感謝し、そのシーズン全体を貫くテーマを回顧するスピーチを述べる。また聴衆とともにヘンリー・ウッドを讃えること、プロマーに感謝の意を示すこと、プロムス期間中に集まった寄付の総額を報告すること、そして翌年のプロムス初日の日程の発表をすることも欠かさない。スピーチは1941年に起源がある。

会場のロイヤル・アルバート・ホールは毎回超満員となる。入りきれなかった人々およびロンドン近郊に居住していない人々に対する代償として、プロムス・イン・ザ・パークなる大画面テレビ中継が行われている。初めホールに隣接するハイド・パークのみで行われていたこの中継は、2005年よりベルファスト、グラスゴー、スウォンジーおよびマンチェスターの各都市に拡大されている(年により場所が異なることもある)。各会場ともアルバート・ホールからのフィナーレ中継前の時間には独自のライブ・コンサートの催しがもたれている。これらの会場に集まる人々の総数は数万人に達する。

2004年までBBC交響楽団首席指揮者の座にあったレナード・スラットキン(アメリカ人)は、非イギリス人として初めてプロムス最終夜のタクトを振ることになったが、「(イギリスに対する)ナショナリズムの横溢したこの最終夜の雰囲気を少しばかりでも緩和したい」との意向を表明していた。その意図のもと、2002年からは「ルール・ブリタニア」は「イギリスの海の歌による幻想曲」の一部として演奏されるようになった(1番のみが歌われる)が、スラットキンがBBC交響楽団を去った後はこの形式は必ずしも踏襲されていない。なお、プロムス最終夜の指揮台に立ったスラットキン以外の非イギリス人は2010年現在、イルジー・ビエロフラーヴェクとデイヴィッド・ロバートソンである。スラットキンとビエロフラーヴェクは複数回指揮台に立っている。

なおスラットキンの最終夜への初登場は2001年であり、これはイギリス人の犠牲者も多かったアメリカ同時多発テロ事件の僅か数日後に行われた。この年の最終夜は例年よりは内省的でおとなしい雰囲気の中で行われた(上述の一連の愛国的な3曲のうち「ジェルサレム」しか歌われなかった)。演奏プログラムにも若干の変更が加えられ、サミュエル・バーバーの「弦楽のためのアダージョ」も急遽挿入された。wikipedia

Today's CD
威風堂々THE BEST OF EDWARD ELGAR
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
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内容(「CDジャーナル」データベースより)
ドラマ『合い言葉は勇気』のテーマ曲として使われている「威風堂々」をはじめとするエルガー作品集。映画『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』でおなじみのデュ・プレのチェロも聴ける。

Toda's DVD
The Last Night Of The Proms [DVD] [Import] (2000)
Hilary Hahn (出演), Andrew Davis (出演)
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by takechihome | 2011-07-12 00:00