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<   2011年 04月 ( 14 )   > この月の画像一覧

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英ウィリアム王子挙式 ダイアナ元妃の夢、再び幕開け(産経新聞) - goo ニュースから

The convertible Aston Martin, which belongs to Prince Charles.
http://www.bbc.co.uk/news/uk-13238996
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HISTORY OF ASTON MARTIN CARS LIMITED
DB6 SWB Volante 1965-1969
4.0リッターエンジンを搭載したDB6.4シーター 5台がコーチビルダーのハロルド・ラッドフォードによってシューティングブレークとして製造された。

Today's CD
The Melody At Night, With You KEITH JARRETT
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慢性疲労症候群という聞き慣れない病気のため、しばらく活動を休止していたキース・ジャレットは1998年録音の本作によって見事に復活した。自宅のスタジオで録音したソロ・ピアノ集。曲は<6>のメドレーの後半に自作を配している以外はすべてスタンダード&トラッド。それまで部分的にソロ・ピアノでスタンダードを演奏することはあっても、本作のようなソロ・ピアノによるスタンダード曲集というのは、キースにとってこれが初めてのことで、その点でも特筆すべき作品。
アプローチはいたってシンプルで、いかにメロディの美しさを伝えるか、その一点に心血を注いでいるかのような演奏だ。変わったアレンジで驚かせてやろうなんて下心は微塵もなく、誠心誠意、原曲の美しさを際立たせる純真無垢なプレイに徹している。この曲、こんなに美しい曲だったっけと感じ入る瞬間が何度も訪れる。すべてゆっくりしたテンポの演奏。バラード集といっていい内容だが、単なるバラード集ではなく、そこには敬虔(けいけん)なムードに包まれたキースならではの世界がある。(市川正二)
内容(「CDジャーナル」データベースより)
97年頃から重度の慢性疲労症候群に悩まされていたという、キースの復活第1弾。彼にとっては初めての、スタジオ録音によるソロ・スタンダード集だが、曲解釈もさすがだし、メロディを紡いでいくようなそのプレイは瑞々しく美しい。
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by takechihome | 2011-04-30 21:26
伊予市だけでなく、瀬戸内の小さな町にある何処の町屋も住人が居なくなり廃墟と化している。表面はそこそこに保存されているように見えても一歩中に入ると日本家屋の特徴である瓦のずれや内樋からの雨漏りの放置で、主要な柱や構造体が腐食、復元も難しい状況になっているケースが多い。この菊池邸もそうである。町の勇士が汗を流し掃除をし、どうにか人に見せれる形に、日本最古の自転車を里帰りさせ22日から25日までこの自転車展を開催することができた。
町の宝は、戦後普請としてのこだわりも無く建てた建物群ではなく、こういった江戸、明治、大正、昭和、平成と受け継いできた町の文脈を呈する歴史的生き証人が居なくなった時点で大きな損失となる。
見学者は、この町屋の現状を観てどう感じて帰っていったのか、誰が発動して、所有者の理解も得ながら、町屋の利活用、修復を行うのかを、考えた人がいるのだろうか。民間の手ではなかなか資金の問題で難しい、早く行政のめすが入り歴史的景観の保存地区、形成地区に指定し町の財産を守る政策が議論されることを望みたい。

海運で栄えた八幡浜の町を代表するとも言える菊地家は、今も市内浜之町に面して、当時の面影を偲ばせている。江戸末期から明治初年にかけて建てられたと伝えられる。
七代目菊池清治は、大正期に八幡浜町長、市となってからは戦後初の八幡浜市長となり、名誉市民となった。市長在職期には、後に日土小学校などモダニズムの学校建築を多く手掛けることなる松村正恒を採用し、常に彼を擁護した。
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屋根の上にアコウの木が根を張り、気根が1階の床下まで根を伸ばす。
アコウは別名絞め殺し木ともいい、暖帯南部から亜熱帯に分布し本県においては宇和海に面した地域と瀬戸内海では、佐田岬半島のところどころに群落を作り、また単生しています。三崎のアコウ樹は、自生の北限とされ、また巨木として、7株が指定されました。現在は、4株ですがこの木の特徴は「気根」という無数の根が空間に奇観を呈していることで、その形がタコの足に似ているところ
から別名「タコの木」とも呼ばれております。
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岡崎直司氏たちボランティアが見学者に蔵の説明を。
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東棟2階道具庫から内庭を見下ろす。
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東棟2階広間の茶室 炉もきられていた痕跡が炉ぶちは外れているが、炉材は残っている。床周りの設えは主要なものは外され、無残にもフスマ表が剥がれている。天井も珍しくフスマのつくり、下張りとも剥がれ落ち、下地の杉板が露出していた。現役の頃は立派な数奇屋の広間の茶室として使われていたことが伺える。
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日本最古の自転車が里帰り
車体は鉄製で、スポークは木製。後輪の車輪直径は約1メートル、前輪は約37センチの1人乗り。2本のレバーを両手で交互に動かして走行する。前輪は足で操作する仕組み。
1860年~1870年代に作られた。
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1818年ドイツのドライス男爵が発明。全て木製、またがって地面を蹴るという構造。ヨーロッパの金持ちの間で、新しい遊びとして流行ったそうです。
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オーディナリー:1880年頃になると自転車レースが盛んになり、より早く走るために前輪をどんどん大きくしていきました。曲芸用のような自転車、石畳の上でよくこんな自転車でレースをしていたものだと思う。
日本ではオーディナリー型自転車のことを一般にダルマ自転車と呼んでいる。この名前の由来は、ちょうどダルマさんを横倒ししたときの形に似ているからである。ダルマは言うまでもなく中国禅宗の祖とされる高僧。インドに生まれて、470年ごろ海路中国に渡り、嵩山(すうざん)少林寺で修行した。彼の座禅する姿からダルマという人形がうまれ、その後この人形はご利益があると言われるようになり人々に大変親しまれるようになった。




Today's CD
Closer [Import, from US]
Beady Belle
Album Details
Beady Belle, Norway's uber talented Jazzland outfit return to bless music lovers with the stereophonic journey into 'future jazz' & song. 'Closer' couldn't really be a better title. Closer to the essence, the group's effortless melodic magic - and closer to the gift behind the remarkable and innovative Beady Belle. Beady Belle's 3rd outing, follows on from the debut 'Home' (2001), and follow up 'Cewbeagappic' (2003). The album also features musicians from Beady Belle's live setup; Jorn Oien on keyboards and Erik Holm on drums. Universal. 2005.
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by takechihome | 2011-04-26 22:56
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イタリア、ミラノ近郊で戦前、冷蔵庫、ラジエーター、ウォーターヒーターを生産していたイソ社(ISO SpA)は第二次世界大戦後まもなくスクーター、400ccまでのバイク、小さな3輪バンやトラックの開発を始めました。そして革新的なエンジニア・Mr.Pretiはスクーターエンジンを形を整えた冷蔵庫につなげ、窓や座席などを取り付けた2人乗用の小さな車を提案しました。このコンセプトを元にイソ社は1953年Turinモーターショーに「Isetta」(小さなイソ)を発表しました。その後、またたく間にこの小さな車は市民のタウンカーとしてヨーロッパ内でブーム的な人気を誇るようになりました。
イソ社は1958年まで生産を続けたがイタリア国内においてはあまり著しい成功はしませんでした。そしてライセンス契約をドイツBMW・フランスVELAM・スペイン・ベルギー、ブラジルなどと結び、各社独自に改良を重ね、最終的にはドイツBMW社がイセッタ生産のメインとなりました。BMWは1955年4月、「イセッタ250」を発売。後ろに2本のタイヤが並んだ4輪タイプとイギリス用3輪タイプ(ブライトンイセッタ)はその年の終わりまでには約1万台以上を販売し経営難であったBMWはイセッタの大ヒットにより立て直されました。BMWのイセッタ生産の成功は元々の2ストロークエンジン・236ccから彼らのモーターバイク・R25、4ストローク・シングルシリンダーエンジンへの変更により加速力や耐久性が増した事、各部品の品質基準が他社よりも圧倒的に高かった事。実際、現存するイセッタはBMW版が多い理由には単に生産台数が他社よりも多かったというよりは高品質によるものと言われてます。イセッタはミュンヘンのBMW工場にて1955-1962年までの8間に約16万1721台が生産されその内約2万9000台あまりがイギリスで生産されました。アメリカへも約8500台が輸出されそのほとんどは300ccエンジンで主に250ccはヨーロッパ内で販売されていました。初期型の1955年~57年モデルはバブルウィンドウボディスタイルと言われ前方の小さな窓が少しだけ開閉するタイプで、57年以降モデルからはスライディングウィンドウタイプとなっており窓が以前よりも大きく横にスライディングする事により換気性は向上し、オリジナルのイソ社製のデザイン性重視より実重視のドイツスタイルに変更になったのでした。
イセッタは皆に愛されるパーフェクトデザインな小型バブルカー、1ドア、1シリンダーエンジン、1スパークプラグ、1又2本のワイパー、スライディングウィンドウ、サンルーフ、ヒーター、20-30/Lでとてもシンプルな構造で走る究極な2人乗りエコカーだったのです。

販売期間 1955年 - 1959年
乗車定員 2名
ボディタイプ 1ドア バブルカー
エンジン 空冷単気筒OHV 245cc~582cc
変速機 4速MT
駆動方式 CR(センターエンジン・リヤドライブ)
全長 2285mm(2900mm)
全幅 1380mm(1400mm)
全高 1340mm(1375mm)
ホイールベース 1500mm(1700mm)



Today's CD
New Moon Daughter [Import, from US]
カサンドラ・ウィルソン
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1996年に発表したブルーノートでの第2作。前作『Blue Light Til Dawn』もそうだったけど、ブルーノート入りしてからのカサンドラ・ウィルソンはジャズ・ナンバーだけでなく、ブルースやフォーク曲なども積極的に取り上げるようになった。
ちなに本作はオリジナルが5曲で、ほかにU2、サン・ハウス、ハンク・ウィリアムス、ニール・ヤング、さらにはモンキーズのヒット曲まで取り上げていて、まったくもって驚きの選曲だ。これに関してカサンドラは以前インタビューした時、こんなふうに言っていた。「プロデューサーのクレイグ・ストリートの意向でもあった。でも私の場合、デビュー当時はギターの弾き語りでフォークやブルースを歌っていたから、別に唐突というわけではない」。<1>はビリー・ホリデイの名唱で知られる曲だが、カサンドラはビリーにインスパイアされながらも完全な自己流で歌っていて、ビリーとはまた違った意味で感動的だ。バンジョーやペダル・スティールなどを加えた独特の楽器編成もユニーク。(市川正二)
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by takechihome | 2011-04-17 22:26
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機能性と走破性を兼ね備えたML
燃費がよくパワフル、かつ静粛性も高いことで注目されるディーゼルエンジンを搭載した、メルセデス・ベンツML350BlueTEC 4MATIC。プレミアムSUVに位置づけられるこのモデルが、2010年5月31日よりメルセデス・ベンツ日本の手で発売された。新技術によって排ガス中の有害成分を大幅に除去したのも大きな特徴のひとつ。

MLは使い勝手のよさと機能性を追求したモデルでもある。アイポイントが高く視認性がよいため運転しやすいことにくわえ、4MATICと呼ばれる四輪駆動システムによる走破性の高さなど、オールマイティぶりを特徴とする。これに今回、新世代のクリーンディーゼルエンジン「BlueTEC」搭載のML350BlueTEC 4MATIC(814万円)が設定された。

クリーンディーゼル「BlueTEC」の効果
「BlueTEC」ディーゼルの最大の特長は、NOxと呼ばれる窒素化合物と、PMなる粒子状物質という、ディーゼルエンジンの排ガスにふくまれる2大有害成分の効果的な除去をはかっている点。エンジンの燃焼効率を上げればPMは除去されるが、いっぽうで比較的低温で燃焼されるNOxは残る。そこで「BlueTEC」では、NOx無害化のために排ガスシステムの最終段階で尿素を噴射する仕組みを採用。これによって最終的にNOxは窒素と水に分解される。

使われるのは「AdBlue」と呼ばれる尿素水溶液。トランクルームの床下に設けられた24リッタータンクに貯蔵され、約1,000km走行で1リッター消費される。なので大抵の場合、補充は車検時にサービス工場でおこなわれることになる。

ML350BlueTEC 4MATICに搭載されるエンジンは高効率の3リッターV6直噴ディーゼルで、排気量を抑えて、ターボチャージャーでパワーアップすることで、燃費とパワーの両立をはかっている。低回転域からトルクを発生するディーゼルエンジンの特性もあり、3リッターながら5リッターのガソリンエンジンに匹敵する動力性能と謳われる。同時に日本のポスト新長期ディーゼル排出ガス規制に輸入SUVとしてはじめて適合しているのも特徴だ。

同時に、限定仕様「ML350BlueTEC 4MATIC Limited for Seven Summits by Ken Noguchi」(899万円)が発売された。アルピニスト、野口健とメルセデス・ベンツ日本とのコラボレーションによる限定車。高い走行性にくわえ、クリーンディーゼルと野口健の環境保護活動との相性のよさから生まれたモデルで、売上の一部は野口健が代表を務めるNPO法人「セブンサミッツ持続社会機構」に寄付される。同NPOは清掃活動や環境保護の調査などをおこなう団体でもある。特別色にくわえ、専用デザインの20インチホイールを装着するなど、特別装備が与えられている。

Mercedes-Benz ML350 BlueTEC 4MATIC|
メルセデス・ベンツ ML350 BlueTEC 4MATIC
ボディ|全長4,790×全幅1,935×全高1,815mm
エンジン|3ℓ V型6気筒DOHCディーゼル+インタークーラー付ターボチャージャー
最高出力|155kW[211ps〕/3,400rpm
最大トルク|540Nm[55.1kgm〕/1,600~2,400rpm
駆動方式|4輪駆動
トランスミッション|7段AT
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by takechihome | 2011-04-14 23:50
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MINIクーパーに過去最多の女性が乗り込むというギネス記録へアメリカのモダンバレエ劇団「ピロボラス・ダンス・シアター」が挑戦。一体、何人乗れたのでしょうか?

MINIクーパーでギネス新記録

*If I was participating, space of two might have been occupied?*


 MINIがギネス記録に挑戦。今回のチャレンジは全長3740mm、全幅1685mm、全高1430mmのMINIクーパーに過去最多となる女性26人が乗り込むというもので、アメリカのモダンバレエ劇団「ピロボラス・ダンス・シアター」が挑戦している。

 クルマに乗り込む女性ダンサーには規定が設けられ、身長は少なくとも5フィート(約150cm)以上でなければならない。車内はもちろんシートを外したり動かしたりは出来ず、全員が乗り込んだ後完全にドアを閉めたまま、5秒間カウントしなければ記録達成とは見なされない。

 すし詰め状態となる事が予想される彼女たちに、「顔を蹴られたりする心配はないのか?」とインタビュアーが質問すると、「非常に狭い空間の中で他者と体を密着させながらも、不快な状況にならないような訓練をしてきた、問題はない。」と余裕を見せている。

 しかし緊急事態に備えてドクターも待機。息ができないなど身の危険を感じた場合は「パイナップル!」と叫ぶのが合言葉のようだ。

http://www.youtube.com/watch?v=RulI73Vq2LQ&feature=player_embedded
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by takechihome | 2011-04-13 20:12
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スマートは全長約2.5m×全幅1.5mのボディサイズながら、乗車定員の2名が快適に過ごせるシティ・コミューターである。バリエーションは、スタンダードなハッチバッククーペタイプとオープントップのカブリオレタイプ、それにボディ全幅を1,470mmとスリムにした、軽自動車タイプとなる3つ。新たにそれぞれ、スマートフォーツークーペ(smart fortwo coupe)、スマートフォーツーカブリオ(smart fortwo cabrio)およびスマートフォーツーK(smart fortwo K)と名称変更を行なった。モデル特性である2人乗り(フォーツー)をより強調している。エンジンは、フォーツーKは軽自動車規格内の598cc、その他モデルは排気量拡大となる698cc、ともに直列3気筒SOHCインタークーラー付きターボとする。クーペとカブリオが61馬力の出力を発揮する。リアエンジン&リアドライブ方式となる。フロアに配置されるトランスミッションは、トルクコンバーターを持たない、オートクラッチ式の6速マニュアルモード付きAT(SOFTOUCH)。安全装備として、デュアルエアバッグ、ABS、フォースリミッター&テンショナー付きシートベルト、滑りやすい路面状況や危険回避時の車両安定性を飛躍的に高めるESPR(エレクトロニック・スタビリティ・プログラム)や、緊急制動時にすばやく最大制動力を発揮させるBASR(ブレーキアシスト)、坂道発進補助機能であるヒルスタートアシスト等を標準装備。ハンドル位置は右のみ。フォーツークーペ、フォーツーカブリオは、今回の一部改良によってEPS(電動パワーステアリング)を標準装備しより軽快なハンドル操作を実現。あわせてレブカウンターエンジン回転数計とコックピットクロックを標準装備した。
型式 GH-450432
排気量698cc
ドア数2
シフト6AT
駆動方式 RR
定員2名
燃費19.2km/l

Today's CD
ラヴェル:ボレロ、《マ・メール・ロワ》他
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
内容(「CDジャーナル」データベースより)
ブーレーズが,約20年振りのラヴェル管弦楽作品集で,BPOを得て,彼が頭に描く理想の音響空間を築き上げている,という感じ。また,以前よりも,ずっと,音色に潤いがあるところに,ブーレーズの変化が表れている。特に1が素晴らしい
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by takechihome | 2011-04-12 21:54
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LEDのテールランプに交換 Photoshop CS4にてモンタージュ
Secondcar: BMW325TouringからBMW minicooperSへ

BMW minicooperSのメカニズム
ONEやCOOPERのエンジンは排気量1.6リッターのチェーン駆動4バルブ・SOHC4気筒エンジンだが、COOPER・Sのエンジンにはルーツブロアとインタークーラーが追加された。過給に応じて圧縮比は10.6から8.31に変更され、最高0.8バールの過給圧により、163PS/6000rpmの最高出力と210NM/4000rpmの最大トルクを発生する。最高出力は、リッター当たり100PSを超える高出力である。

ルーツブロアは横置きエンジンの前方に取り付けられ、ポリVベルトを介してクランクシャフトで駆動される。機械過給エンジンではルーツブロアの駆動系にクラッチを設け、必要に応じてクラッチを接続する方式もあるが、COOPER・Sではクラッチは用いられない。このため、ルーツブロアは常時駆動され、エンジンは常時過給を受けている。圧縮比は可変でないから、常時過給は理にかなっている。
COOPER・S専用に開発されたトランスミッションは、ゲトラグ製3軸式6速MTである。3軸式としたのは、2軸式のまま6速化すると全長が長くなり過ぎるためだ。ギア比は1速が4.167、2速が2.619、3速が1.333、4速が1.089、5速が1.333、6速が1.089であり、3・4速と5・6速のギア比が等しい。これは、3
・4速と5・6速で異なった最終減速ギアを使用しているためで、トータルギア比としては、1速が11.425、2速が7.181、3速が5.397、4速が4.407、5速が3.656、6速が2.986となる。

 要するに、副変速機を導入して4速MTを6速化しているのだ。4速MTに1セットのギアを追加して6速化でき、軽量コンパクトな6MTとなる。が、1本のシフトレバーで主変速機と副変速機を同時に切り替えるという、複雑な変速機構が必要になる。

メカニズム解説:熊野 学氏による


Today's CD
ベルヴェデール
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by takechihome | 2011-04-11 21:08
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1960年代 VW1500 ヤナセが輸入
全ての部品をオリジナルでレストア 交換部品だけでも200万以上 売値はつけれないとか。

エンジン型式   H型
総排気量     1493cc
ボア/ストローク  ∮83.0×69.0mm
圧縮比      7.5:1
最高出力     44PS/4000 r.p.m     
最大トルク    10.2kg-m/2000 r.p.m
キャブレター型式 ソレックス30 PICT
動力伝達系統
乾燥単板式クラッチ・フルシンクロ4段ギヤボックス・同一ハウジング内にベベルギヤ
スイングアクスル・クラッチペダルの遊び:10-20mm
変速比:第1速 3.8:1 第2速 2.06:1 第3速 1.26:1 第4速 0.89:1 後退3.61:1
減速比:4.125:1

1946年には1万台のフォルクスワーゲン・タイプ1が生産された。
1947年には、オランダ向けを第一陣として国外輸出が始まった。最大の市場となったアメリカへの進出は1949年である。またその後、ドイツ系移民が多くフォルクスワーゲンが一定のシェアを持っていたブラジルの現地法人である「フォルクスワーゲン・ド・ブラジル」やメキシコでの生産も開始された。
以後のフォルクスワーゲン・タイプ1の歴史は、破竹の勢いと言うべきものであった。とにかく頑丈で悪路や厳しい気候でも酷使に耐え、材質・工作が優秀で整備性も良く、大人4人を乗せて経済的に高速巡航できるこの車の性能・品質は、1950年代に至ってもなお世界各国の新型小型乗用車に引けを取らないものであった。アウトバーンでの走行を念頭に置いた、100km/h以上で高速道路を連続巡航できる車、というポルシェとヒトラーの進歩的コンセプトは、戦後の先進各国におけるハイウェイ時代到来に、見事に適応したのである。アウトバーン整備とフォルクスワーゲン開発の推進は、常に独裁者としての悪名が先行するヒトラーの施策の中では、戦後これを実効的に継承発展できたことで、後年まで成功と見なされる事績の代表例となった。

輸出市場でも、その性能と共に、進出した各国で緻密に構築された質の高いディーラーサービス網が、ユーザーからの信頼をより一層高めた。1955年には累計生産100万台に到達、更に工場の増設・新設を繰り返して、1964年には累計生産1,000万台に到達した。

改良は年々為され、エンジンや電装の強化(1960年代中期以降、6V電装を12Vへ変更)、細部の形態変更などが繰り返されている。排気量は当初の1.0Lがすぐ1.1Lへ拡大、のち1954年からは1.2Lとなるが、1960年代に入ると輸出モデルを中心に1.3L、1.5Lへの移行が進み、モデル後期には1.6L型も出現している。

アメリカではセカンドカーとしての需要が高かったが、特に合理性を重んじる知的階層からは「大型車へのアンチテーゼ」として愛用され、一時はデトロイトの大型車と正反対な、反体制の象徴の一つとしても扱われた。理知的なユーモアに溢れる優れた広告戦略も好評を博したが、その広告代理店がドイツ系ユダヤ人のウィリアム・バーンバック率いるDDB(ドイル・ディーン・バーンバック)社であったことは、フォルクスワーゲンの生い立ちからすれば歴史の皮肉とも言える。
wikipedia
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1970年代 VW1303S カブリオレ
レストア車 こちらは127万 そろそろスピードではなくゆっくり風を切って景色を眺めながらドライブもいい歳になってきたかな。

1303S Sportmatic諸元
型式 AD13
年代 1972.8~75.7
LxWxH 4110x1585x1500mm
軸距 2420mm
車両重量 950kg(日本仕様)
車両総重量 1225kg
定員 5名
原動機 4サイクル空冷水平対向4気筒OHV 型式AD
内径x行程 φ85,5x69,0mm
排気量 1584cc
燃料供給機 SOLEX34PICT-3 1基(デュアルポート)
圧縮比 7,5:1
最大出力 50bhp/4000rpm(DIN)
最大トルク 10,8kg-m/2800rpm
変速機 3段セミA/T
変速比 ロウ:2,059
1速:1,261
2速:0,889
後退:3,071
最終減速比 4,125
サスペンション 前:マクファーソンストラット+コイルスプリング
後:ダイアゴナルリンク付きトレーリングアーム+トーションバー
ブレーキ 前:ドラム(ディスク)
後:ドラム
ホイール 4,5Jx15
タイヤ 5,60-15、6,00-15、ラジアル155SR15、175/70R15、165/80R15
空気抗力係数 Cd=0,49以下
燃料オクタン価 91+(RON)
燃費 10,42km/L

1960年代以降は、設計の古さによるスペース・ユーティリティの悪さや、リアエンジンとスイングアクスル式独立懸架による高速走行時の不安定さ、空冷エンジンの騒音などが問題視されるようになる。しかし、フォルクスワーゲン社は決定的な代替車種開発に失敗し続けて1970年前後は経営困難に苦しみ、1974年に前輪駆動方式の本格的な代替車「フォルクスワーゲン・ゴルフ」を世に出すまで、前時代化したビートルを主力車種としたまま、改良のみでしのぐことになった。

1967年には、電装系がそれまでの6Vから、当時既に一般的であった12Vへ変更された。外観では、フロントライトが直立した形状になった。

翌年の1968年には、北米市場を意識した大幅な変更が行われた。衝突安全性を高める為に前後バンパーが強化され、テールライトも大型化された。この年より、スポルトマチックと呼ばれるセミオートマティックのモデルが追加された。

スポルトマチックと北米向けモデルに関しては、リアがダブルジョイント式ドライブシャフトとなり、高速安定性が向上した。

1970年には、71年モデルとしてポルシェ式のトーションバー式トレーリングアームに代わり、操縦安定性を改善するストラット式サスペンションをフロントに備えた1302系が発表された[11]。サスペンションのみが大幅近代化されながら、外観は在来型ビートルから大きな発展はなかったが、ラゲッジスペース拡大を若干ながら実現している。この系列は1973年には、フロントウインドーのカーブドグラス化、テールライトの更なる大型化などのボディ形状変更で1303系に移行し1975年まで生産された。しかし、これらストラットサスペンション系列と並んで、ポルシェ式サスペンションを持つ在来モデルも継続生産された。

この間、1972年2月17日には、累計生産1500万7034台に到達し、フォード・モデルT(1908~1927)の1500万7033台という生産記録を追い抜いた。

ゴルフを始めとする1970年代の前輪駆動車へのシフトで、本国ドイツのヴォルフスブルク工場では1978年を最後に製造が終了した。

その後も、長期量産によるコストダウンで需要が高かったメキシコでは生産を継続、ブラジルでも一時生産中止していたビートルを生産再開した時期があった。これらは現地での国民車として広く用いられ、他国のマニアからも「新車のビートル」として並行輸入ルートなどで珍重された。

2003年7月30日、メキシコ工場でタイプ1の最終車両が完成し、総生産台数約2153万を達成して生産終了となった。発表以来65年間に渡る製品寿命を保った四輪乗用車は、歴史上、他に存在しない。
wikipedia


Today's CD
チャイコフスキー : ヴァイオリン協奏曲
スターン(アイザック)
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内容(「CDジャーナル」データベースより)
50年代後半から70年代前半にかけて,スターン(1920年生)壮年期の記録。ヴァイオリニストとしてはこの時期が頂点だった。やや脂っ気の多い艶やかな音色,安定した運弓,運指。安定感抜群のオーケストラ共々,誠にオーソドックスな名演。
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by takechihome | 2011-04-09 22:14
震災,原発の被災者の方々へ

Today's CD
ケルティック・ウーマン
内容(「CDジャーナル」データベースより)
アイルランド出身、女性5人組ユニットの日本デビュー盤。フィドルやハープの音色が印象的なケルト音楽テイストのサウンドと澄み渡るようなピュアな歌声が魅力。デヴィッド・ダウンズの秀逸なアレンジにも注目。トリノ五輪のエキシビションで荒川静香が使った曲「You Raise Me Up」も収録されている.
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You raise me up/Written by Secret Garden(シークレットガーデン)原曲

When I am down and, oh my soul, so weary
When troubles come and my heart burdened be
Then, I am still and wait here in the silence
Until you come and sit awhile with me
 
You raise me up, so I can stand on mountains
You raise me up, walk on stormy seas
I am strong, when I am on your shoulders
You raise me up......To more than I can be
 
There is no life-no life without its hunger
Each restless heart beats so imperfectly
But when you come and I am filled with wonder
Sometimes, I think I glimpse eternity
 
You raise me up, so I can stand on mountains
You raise me up, walk on stormy seas
I am strong, when I am on your shoulders
You raise me up......To more than I can be

落ち込んで、心がすっかり元気を失っている時
困難に見舞われて 心がそれを重荷に感じている時
ここで動かずに、じっと黙って待っていよう
あなたが来てくれて 私の隣にそっと座ってくれるまで
 
あなたがいてくれるから、私は高い山へも登っていける
あなたがいてくれるから、嵐の海を歩くことだってできる
あなたに支えられて、私は強くなれる
あなたに励まされて……私は、自分を越えることができる
 
人生にはいつも 飢えがつきまとう
それぞれの不安な心の鼓動はとても不完全
それでもあなたがいてくれて、不思議な思いで充たされる時
私は 永遠を垣間見れたような思いになる
 
あなたがいてくれるから、私は高い山へも登っていける
あなたがいてくれるから、嵐の海を歩くことだってできる
あなたに支えられて、私は強くなれる
あなたに励まされて……私は、自分を越えることができ
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by takechihome | 2011-04-08 21:55
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レンブラント風? Leica M8 + SUMMICRON-M28mm f/2 ASPH.
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zu Würzburg ist eine römisch-katholische Kirche in Würzburg, die dem Heiligen Kilian geweiht ist. Der Dom ist die Bischofskirche des Bistums Würzburg. Mit seiner Doppelturmfassade und einer Gesamtlänge von 105 Metern ist er das viertgrößte romanische Kirchengebäude Deutschlands und ein Hauptwerk deutscher Baukunst zur Zeit der salischen Kaiser.

Geschichte [Bearbeiten]Die romanische Kirche, erbaut ab 1040 von Bischof Bruno, gilt als die viertgrößte romanische Basilika Deutschlands. Es handelt sich um den dritten Dombau, nachdem die ersten beiden (erbaut um 787 und 855) durch Feuer ganz oder teilweise zerstört worden waren. Nach dem Unfalltod Brunos im Jahr 1045 vollendete sein Nachfolger im Bischofsamt, Adalbero, den Bau im Jahr 1075.

Die Seitenschiffe wurden um das Jahr 1500 spätgotisch umgestaltet. Pietro Magno stuckierte den Dom 1701 im barocken Stil aus.

Nach dem Einsturz großer Teile des Doms am 20. Februar 1946[1] als Folge des Bombenangriffs auf Würzburg am 16. März 1945 wurde er bis 1967 wieder aufgebaut. Dabei wurde die barocke Substanz zugunsten einer Re-Romanisierung zerstört. Die Neuausstattung betont den Gegensatz zu den erhaltenen historischen Partien. So entstand eine umstrittene Kombination aus größtenteils romanischen, modernen und barocken Elementen. Die neoromanische Westfassade mit Fensterrose, dreigliedriger Galerie und Uhrenöffnung wurde beim Wiederaufbau mit einer schlichten Bimssteinmauer verblendet und im Zuge von Renovierungsarbeiten zwischen April 2004 und November 2006 wieder freigelegt.[2] Der Chorraum wurde im Jahr 1988 von Hubert Elsässer umgestaltet.

Würzburger Synode [Bearbeiten]Von 1971 bis 1975 tagte im Würzburger Dom die Würzburger Synode. Sie sollte nach dem Willen Julius Kardinal Döpfners die Ergebnisse des Zweiten Vatikanischen Konzils für Deutschland umsetzen und zu einem „geistlichen Ereignis“ werden. wikipedia
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wikipedia
Today's CD
ショパン:夜想曲全集
アシュケナージ(ウラジミール)
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内容(「CDジャーナル」データベースより)
柔らかくて暖かくて,聴きてを柔らかく包み込んでしまうようなショパンだ。淡い色彩感覚も実に見事だし,決め所では非常に雄弁な表現で惹きつけてしまう。1セット持っていたい時には,このアシュケナージ盤が当分の間おすすめ盤。
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by takechihome | 2011-04-07 23:01