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豊島美術館 「母型」 内藤礼+西沢立衛

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canon 5D EF70-200mm F2.8 IS L USM
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「母型」内藤礼 2010年 地下水、コンクリート、石、リボン、糸、ビーズ 写真:森川昇

内藤礼 記者会見
http://www.youtube.com/watch?v=BrBPOZIiDQ4&feature=player_embedded

内藤礼 豊島美術館記者会見

 アートは人間の言葉の領域とは必ずしも重ならない所にあるものなので、言葉でアートを語ることは非常にむなしいし、矛盾して難しいことではあるのですが、言葉を探してみます。
 
 私は、ずっとたった一つのことをアートの主題として仕事をしてきました。
それは、地上の生がそれ自体で祝福であるのだろうか、ということです。そして今回創った空間に対しては、私は母型という言葉を与えることにしました。母型という言葉を英語だとmatrixですが、私が母型ということ言葉をいつ頃、初めて、見かけたのか覚えていないのですが、ある時期初めて私の言葉の体験として出会ったときがあって、そのときこの言葉は、例えば私がこれまで作品につけてきたタイトルである、地上に一つの場所だとか、温情だとか、返礼であるとかそう言う言葉と同じ何かを持っているものだと感じました。
 
 母型という言葉をほかの言葉で少し言ってみるとすると、それはやはりまずは、おんなや母に通じている何かでありますし、そしてあらゆる存在を生んで育む空間でありますし、あらゆる自然、それは外からやってくる自然でもあるし、自分の内側からやって来る自然、その自然をありのままに受容しようとする器、そう言う何か原型のような空間なのではないかと借りの言葉にしてみると自分の中では思ってきています。作品を言葉でなく作品にしていくということは、そのことを知っていくことでもあります。私と空間がどちらが先にあったのか、どちらがどちらを生んだのかも自分でもさっぱりわからないような不思議な感覚に包まれています。
 
 美術館の構想を最初に福武理事長にお伺いしたときに、西沢さんもおっしゃっていたのですが、建築と自然とアートの一体化ということをお聞きしました。
それは私にとっては少し驚いたことではあって、私自身数年前から至情の生は祝福で、それ自体で祝福であるのだろうかと考えていく中で、至情の世界との連続性と言うのが、祝福についての問いに、問いの何かを教えてくれる一つのものではないかと感じ始めていて、そのことについて集中していたこの4、5年間だったんです。
そのことは、空間の中に私の作品を捧げて、形になっているかと思いますが、幸福とか祝福というものは何か個別的に存在しているものではなくて、ある連続性というかその関係性、その動きや変化、あらかじめ予測のできない自分も含め、人を超えたところに隠れていて、たまに顔を出すというそういう、ある意味動きのようなものだろうと私は感じていて、そのことをこの作品を創りながら考えていました。

 例えば、空間の中にリボンが下がっていますが、その動くリボンをみたときに心の中に起きる、生まれる感情というのは、ただリボンを切って机の上においただけで起きるものでもないし、風をみている、肌で受ける感じものでもないし、西沢さんの開口部を眺めているだけで感じるものでも、空を眺めて感じるものでもなくて、そのすべてがそこにあったときにそのリボンでも建築でも風でも光でもない何か動きでもない輝きでもない何かをすべての連続性、その関係の中で人は感じ取っているんだろうと思います。それは水の動きの中にも全く同じことが言えます。
 
西沢さんとの建築との出会いですけれども、一人の建築家と一人のアーティストとの出会いとして、建築空間が生まれるのと同時に作品を創っていくというのは初めての経験で、私の仕事の一番の中心にあるのは、空間についての仕事だと思っているのですが、空間に、私が入っていって何か行為を行うわけですが、造り変えるだとか、私はアートは自己表現だと思っていないので、自分をそこに表現するために空間と関わっていくのではなくて、それは空間というのは豊島の自然そのものと考えてもいいし、西沢さんの建築空間そのものと考えてもいいし、この豊島美術館という施設そのものの意味と考えてもいいのですが、目の前にある空間と言うものが何かの理由で、すばらしいものが隠されることがないように、隠れてしまうことがないように、裸にしていくというのが私にとっての空間の考え方で、隠してしまうというのは人間の心の方かもしれないのですが、

私にとって空間の中に作品を創るという言葉は適切ではないのですが、空間に関わるということは、その空間が元々持っていたものに近づく、元々持っていた善いものに気がついてそれがなるべく本当の形で出てくるようにすることが、私にとっての空間の仕事であり、私が空間と指すものというのはそういう空間です。


 
 
 内藤礼にとってアートの原点は、ある意味「幸福」とか「祝福を」探すことその行為であるといっているかのようである。それは言葉で表現できるようなものでもない。
その行為は、この作品では、この地上にある「生」をいかに大切に引き出していくか。あえて彼女は「母型」と名づけている。
周りの環境との関係性なくしては存在しないものだと。
またその「場」の真実性に近づき、もともとあった善きものが本当の形で湧き出てくるようにする行為であると。
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by takechihome | 2010-11-04 20:41