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Wiener Staatsoper 

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2008年4月 ベルリーニ「夢遊病の女」の上演をオフィスアルカディアの二宮氏のお世話で友人夫婦と鑑賞
当時Lexusが筆頭スポンサー (現在も継続)

パッパー眞理氏によると
劇場運営は火の車
一晩の経費は、約4千万円。年間では、
140億円といわれる国立歌劇場は、年
に一度の大統領主宰の「国立オペラ座舞
踏会」を除いて毎晩赤字である。

チケット収入なんぞ全収入の三分の一以
下、累積赤字額は250万ユーロ(約4
億1千万円)にのぼる。

芸術にはパトロンが必要だが、ウィーン
にある四つのオペラハウスを支えている
のは、観光客と国民(納税者)、そして
企業のスポンサーである。

オペラハウスは、なんとか特上の高い席
を大型バスで流れ込んでくる観光客に買
ってもらおうと努力している。

2002年に小澤征爾が国立歌劇場の音
楽監督に就任すると、彼を見たさに日本
から観光客が詰めかけ、翌年のシーズン
では客席稼働率が過去最高の97.24
%に上昇した。



http://www.wiener-staatsoper.at/Content.Node/home/index.php
ウィーン国立歌劇場(こくりつかげきじょう、ドイツ語: Wiener Staatsoper ヴィーナー シュターツオーパー、ドイツ語の原音から「ヴィーン〜」とも→ヴ(Vの日本語表記)参照)はオーストリアのウィーンにある歌劇場。1920年まではウィーン宮廷歌劇場と呼ばれていた。レパートリーシステムをとる。

ウィーンがドイツから北イタリアにまたがる神聖ローマ帝国の首都であったため、ドイツ・オペラのみならずイタリア・オペラにとっても中心的存在であったことと、専属オーケストラであるウィーン国立歌劇場管弦楽団が、世界でも一、二の人気を争う(英「グラモフォン」誌や日本「レコード芸術」誌のオーケストラ・ランキングでは常に3位以上を維持、歌劇場管弦楽団を兼ねる団体でこの位置に入った例は他に無い)オーケストラであるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の母体であることからもわかるように、世界最高の歌劇場とされる。ドイツオペラとイタリアオペラの両方をカバーするという点では、逆の立場(オーストリアの支配を受けていた)にあったミラノのスカラ座にも同様の性格はあるが、古くからイタリア人スター歌手も多く専属化するなど、ウィーンの国際性は一段と徹底している。

劇場はウィーンの中心部、ケルントナー通りとリング通りの交点に面して建てられている。ネオ・ロマンティック様式の建屋は建築家エドゥアルト・ファン・デア・ニュル(意匠)とアウグスト・シカート・フォン・シカーズブルク(構造)によるもの。

建設当時はひどく批判されたが、1869年5月25日にヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の上演でこけら落しを行った。その後は総監督でもあった作曲家リヒャルト・シュトラウスのナクソス島のアリアドネ(1916年10月4日)や影の無い女(1919年10月10日)の世界初演が行われている。

第二次世界大戦中の1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台が破壊され、建物は火災に見舞われた。モーリツ・フォン・シュヴァイエのフレスコ画のあるホワイエと正面階段、連廊、それに喫茶室は焼失を免れたが、120作のオペラ上演のための舞台装置と大小道具のほぼ全て、15万着もの衣装が失われた。このため国立歌劇場はウィーン・フォルクスオーパー(1945年5月1日から6月14日まで)およびアン・デア・ウィーン劇場(1945年6月18日から1955年8月31日まで)を仮の拠点とした。また、従来ウィーンの上演と連携したプロダクションを上演していたザルツブルク音楽祭は、これにより独自のプロダクションを作るようになった。

再建した客席数2,200名の劇場は、再び総監督に就任したカール・ベームの指揮によるベートーヴェンの『フィデリオ』によって1955年11月5日に再開した。

作曲家グスタフ・マーラー(1860-1911)もこの歌劇場で活躍した数多くの高名な指揮者の一人である。マーラーはアナ・バール・ミルデンブルク(1872-1947)、セルマ・クルツ(1874-1933)、レオ・スレザーク(1873-1946)ら新しい世代の歌手を積極的に登用し、また舞台デザイナーを雇用して伝統的で豪華な舞台装置をモダニズムやユーゲントシュティール風の様式の簡素なものに置き換えた。さらに上演中に客席の照明を落とす慣行を作ったのもマーラーである。これは当初は聴衆の不評を買ったものの、後継者らはこの改革をそのまま続けた。また今では慣習化しているが、『フィデリオ』のフィナーレでの舞台転換の時間をかせぐために、「レオノーレ序曲第3番」を挿入するアイデアもマーラーによるものである。また、それまでオペレッタを上演することがなかったウィーン宮廷歌劇場でヨハン・シュトラウス2世のオペレッタ「こうもり」を正式にレパートリーとした(1897年)。さらに、ウィーン宮廷歌劇場で上演するバレエ曲(「灰かぶり姫」というシンデレラ物語)をヨハン・シュトラウス2世に委嘱したが、これは完成しなかった(「ヨハン・シュトラウス〜ワルツ王と落日のウィーン」小宮正安 中央公論新社)。

そのほかの高名な指揮者としては、ハンス・リヒター、フェリックス・ヴァインガルトナー、リヒャルト・シュトラウス、クレメンス・クラウス、アルトゥーロ・トスカニーニ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ブルーノ・ワルター、ヘルベルト・フォン・カラヤン、ロリン・マゼール、カルロス・クライバー、クラウディオ・アバド、小澤征爾、リッカルド・ムーティ、フランツ・ウェルザー=メストらがいる。

ウィーン国立歌劇場はイタリアやその他の外国語作品も契約歌手によるドイツ語による上演を行ってきたが、カラヤンは客演歌手を招き原語上演する方針を導入した。これは、やはり訳詞上演が慣例化していたドイツその他の国の大歌劇場にも波及した。

歌劇場ではオペラやバレエの上演のほか、何十年にもわたって上流階級によるオペラ座舞踏会にも使用されてきた。 wikipedia

建設は、アウグスト・ジカルト・フォン・ジカルツブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニュルによる設計案に沿って、1861年に始まりました。2000人以上を収容する建物の建設は、大規模なものでした。現在のオペラ座には1709席、さらに567名分の立ち見席があります。そして、舞台はヨーロッパ最大の舞台の一つに含まれます。

しかし、これほどの壮大さにもかかわらず、ネオ・ルネッサンス様式による設計は当初猛烈な批判を受け、あまりの非難の激しさにニュルは自殺に追い込まれ、ジカルツブルクも落成式の数ヶ月後に心筋梗塞で亡くなりました。

オペラ座は1869年5月25日にオープンし、こけら落としにウォルフガング・アマデウス・モーツアルト作「ドン・ジョヴァンニ」が演奏されました。
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Eduard van der Nüll
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Das Opernhaus kurz nach Baubeginn im Jahr 1863
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Eröffnungsvorstellung im neuen Haus der Wiener Hofoper mit „Don Giovanni“, Innenansicht mit Blick auf die Bühne, 25. Mai 1869
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wikipedia


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by takechihome | 2011-01-24 21:02

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