ブログトップ

DAY BY DAY

takechi59.exblog.jp

my life

節分の風習

e0203309_21182743.jpg

3日は節分の日、伊予では、たらの幹を短く切りトベラと日干し鰯を括り戸口につるす風習がある。
幼少のころは、祖母が焙烙で豆を炒って豆まきに備える。寒い夜玄関に出て親父と鬼は外、福は内と2度3度撒いた。家に入ると歳の数だけ一升枡に入った豆をいただく、最初は歳を数えていただくが、こっそり腹いっぱい炒り豆をほうばっていたものだ。
 今年は、私にとって厄年、気をつけて歳を越さないと。

 節分(せつぶん、または、せちぶん)は、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のこと。節分とは「季節を分ける」ことをも意味している。江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多い。
 季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊ばらい行事が執り行われる。

節分の行事は宮中での年中行事であり、延喜式では、彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾っていた。これは、平安時代頃から行われている「追儺」から生まれた[1]。『続日本紀』によると706年(慶雲3年)にこの追儀が始まり、室町時代に使用されていた「桃の枝」への信仰にかわって、炒った豆で鬼を追い払う行事となって行った。『臥雲日件録(瑞渓周鳳)』によると、1447年(文安4年)に「鬼外福内」を唱えたと記されている。近代、上記の宮中行事が庶民に採り入れられたころから、節分当日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺したもの(柊鰯)を戸口に立てておいたり、寺社で豆撒きをしたりするようになった[1]。一部の地域では、縄に柊やイワシの頭を付けた物を門に掛けたりするところもある。

日付け
節分は立春の前日であり、立春は太陽黄経が315度となる日である。このように、間接的に天体の運行に基づいているので、日付は年によって異なり、また未来の日付は軌道計算に基づく予測しかできない。なお厳密には、基準とする標準時によっても節分の日付は異なるが、日本以外では節分を祝う風習がないので、旧正月のように国による日付の違いが話題となることは少ない。

豆撒き
豆を撒き、撒かれた豆を自分の年齢(数え年)の数だけ食べる。また、自分の年の数の1つ多く食べると、体が丈夫になり、風邪をひかないというならわしがあるところもある。豆は「魔滅」に通じ、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがある[1]。寺社が邪気払いに行った豆打ちの儀式を起源とした行事であり、室町時代の書物における記載が最も古い記載であることから少なくとも日本では室町時代以降の風習であると考えられる。初期においては豆は後ろの方にまくことが始まりだった。

使用する豆は、お祓いを行った炒った大豆 (炒り豆) である。北海道・東北・北陸・南九州では 落花生をまく(大豆よりも回収し易く、殻ごと撒くため地面に落ちても食べられる、等の利点がある)。

豆を撒く際には掛け声をかける。掛け声は通常「鬼は外、福は内」であるが、地域や神社によってバリエーションがある。鬼を祭神または神の使いとしている神社、また方避けの寺社では「鬼は外」ではなく「鬼も内(鬼は内)」としている[1]。家庭内での豆まきで、「鬼」の付く姓(比較的少数だが「鬼塚」、「鬼頭」など)の家庭もしくは鬼が付く地名の地域では「鬼は内」の掛け声が多いという。炒った豆を神棚に供えてから撒く地方もある。

節分の時期になると、多くのスーパーマーケットでは節分にちなんだコーナーが設けられ、その中で福豆(ふくまめ)として売られている。厚紙に印刷された鬼の面が豆のおまけについている事があり、父親などがそれをかぶって鬼の役を演じて豆撒きを盛り上げる。しかし、元来は家長たる父親あるいは年男が豆を撒き鬼を追い払うものであった。

小学校では5年生が年男・年女にあたる。そのため、5年生が中心となって豆まきの行事を行っているところも多い。神社仏閣と幼稚園・保育園が連携している所では園児が巫女や稚児として出る所もある。大きな神社仏閣では、節分の日に芸能人・スポーツ選手・等が来て豆をまくようなことも行なわれ、イベント化しているとも言える。

以前は豆のほかに、米、麦、かちぐり、炭なども使用されたというが、豆撒きとなったのは、五穀の中でも収穫量も多く、鬼を追い払うときにぶつかって立てる音や粒の大きさが適当だったことによる。また炒り豆を使用するのは、節分は旧年の厄災を負って払い捨てられるものである為、撒いた豆から芽が出ては不都合であったためであるという。
wikipedia


トベラ (トベラ科 トベラ属 常緑低木)  
 枝を切ると臭いがするため、節分にイワシの頭などと同様に魔除けとして戸口に掲げられた。そのために“扉の木”と呼ばれ、転訛して“トベラ”となった。
(広辞苑)昔、除夜に海桐花とべら の枝を扉に挟んで邪気を防いだ。又節分(2月3日)にこの木を燃やして豆を炒った。これを海桐花焼とべらやき という。

Today's CD
奇跡のニューヨーク・ライヴ
「世界のオザワ」完全復活!2010年12月14日、ニューヨークのカーネギーホールが感動の嵐で震えた!食道がんから復活した小澤征爾氏が音楽の殿堂・ニューヨーク、カーネギーホールにて得意のブラームスの交響曲第1番を熱演!NYの聴衆も拍手大喝采の感動のライヴを収録。完全復活にかけた小澤の情熱が熱くホールを包み込んだ奇蹟のライヴ盤、緊急発売
e0203309_214906.jpg

昨夜31日高島屋ローズホールで山本裕康氏のチェロコンサートを鑑賞、演奏会のあと山本氏が私のアトリエに、深夜1時過ぎまで楽しいお話をさせていただきました。カーネギーでの公演は、まさしく小澤氏にとって奇跡のような指揮でしたよと。島田真千子さんのメールにも小澤氏以下風邪を引いた上に、腰痛を抱えての指揮は壮絶なものだったと。ブラームスの1番だけに余計に感じるのかも。少しテンポが早かったという話も出ておりましたが。
 
e0203309_22194811.jpg
山本氏に数々あるコンサートホールの中で、音響のいいホールはどこでしたかとお聞きすると、フィンランドのテンペリアウキオ教会Temppeliaukion kirkkoがよかったですと、アンサンブルの演奏をされたとか、ちょうど私も昨年訪れたばかりでしたので記憶には新しいものがあり、話が弾みました。
e0203309_22114448.jpg

e0203309_2213137.jpg

 教会は大岩をくりぬいた中に造られているが、上部側面にガラスがはめ込まれており、自然光が入り込むようになっていて明るい。教会内壁はくりぬいた岩盤がそのまま使われていて音響効果が優れており、しばしばコンサートホールとしても利用される。内壁は当初むき出しで残す予定は無かったが、音響学者マウリ・パリョと指揮者パーヴォ・ベルグルンドの助言により、このままの状態で使われることとなった。岩には氷河時代に削られて出来た模様を見ることが出来る。
[PR]
by takechihome | 2011-02-01 22:52