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my life

小島一郎

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小島一郎の写真集amazonより届く
「天と地の間の人々」
 私の手はすっかり凍えて、間接が曲がらなくなったこともしばしばであった。然し私はこらえ、容赦なく吹き付ける吹雪と闘い、不自由になった手でシャッターを切リ続けた。時には温つい炬燵を思い出すことも無いわけではなかった。
「私の撮影行・小島一郎」より

命を削ってまで、青森の地を覇って過酷な土地にすがりつく人間模様を撮り続けた小島の写真に感動。

青森県青森市出身。戦後、青森を拠点に北国の風景を撮り続けた。写真家として本格的に活動したのは、1954年頃から死去までの10年ほどに限られている。この間、厳寒の津軽や下北の風土を大胆な構図と独特の世界観で表現する。雪原、農作業風景など平凡な被写体と覆い焼きによって強調した空の風景から生み出される強烈なイメージや構図力と確かな技術は、日本の報道写真のさきがけである名取洋之助からも高い評価を受ける。ベタ焼きに代わるものとして考え出した通称「小島のトランプ」と呼ばれる手札サイズの作品群も特徴的である。また、小島の写真店に勤めていた沢田教一に大きな影響を与えた。

略歴1924年 - 青森市大町(現本町)に写真材料商を営む父平八郎と、母たかの長男として出生。
青森県立商業学校(現・青森県立青森商業高等学校)卒業。
1944年 - 日中戦争に召集、中国各地を転戦。
1946年 - 復員し、家業の写真材料商を継ぐ。
1953年 - 弘子夫人と結婚。
1954年 - 写団「北陽会」会員となる。この頃から本格的な写真家としての活動を開始。「パイプ」にて東奧美術展特選。国際写真サロン入選(翌年も連続入選)。
1956年 - 日本カメラクラブ対抗写真コンテスト優秀賞を受賞。
1957年 - 青森美術文化協会展出品。
1959年 - 作品が雑誌『世界』に掲載。
1960年 - 県展奨励賞を受賞。
1961年 - フリーランスの写真家として活動するために上京。「下北の荒海」でカメラ芸術新人賞を受賞。
1963年 - 写真集『津軽』(石坂洋次郎、高木恭造との共著、新潮社)を刊行。写真活動の行き詰まりなどから東京より引き上げ、年末に北海道でオホーツク海の流氷撮影に挑むが、過酷な撮影行による過労で体調を崩す。
1964年 - 青森市の自宅にて静養につとめたが、7月7日に心臓麻痺で死去。享年39。
wikipedia

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北村徹氏撮影
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LUMIX DMC GF1・ NOVOFLEX NFT/NIK・ Nikon Reflex-NIKKOR ・C1:8f=500mm

LUMIX GF1に、30年前のNIKKORレンズ4種とLeica summicron28mm Tri-elmar16.18.21mm Carl Zeiss C-sonner Voigtlander superwide helier15mm と手持ちのレンズを全て使えるように、NOVOFLEX NFT/NIK (Nikon Fマウント-m4/3 ) 、Panasonic M mout adapterを購入
今夜は、Nikon Reflex-NIKKOR ・C 1:8 f=500mmをつけて下弦の三日月を撮る。

Today's CD
ヒアズ・トゥ・ライフ
ジョー・ウィリアムス
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内容(「CDジャーナル」データベースより)
フー,これが75歳の人の歌か…。溜め息がもれてしまう。まろやかなコク,ブルージーなフィーリング,そして深みのある歌唱。それを引き出したロバート・ファーノンの編曲,オーケストレーションも素晴らしすぎる。何が本物かってこれですよ,アナタ。
by takechihome | 2011-03-10 00:48

by takechihome