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フォルクスワーゲン・タイプ 1(Volkswagen Type 1) 岡市モータースにて

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1960年代 VW1500 ヤナセが輸入
全ての部品をオリジナルでレストア 交換部品だけでも200万以上 売値はつけれないとか。

エンジン型式   H型
総排気量     1493cc
ボア/ストローク  ∮83.0×69.0mm
圧縮比      7.5:1
最高出力     44PS/4000 r.p.m     
最大トルク    10.2kg-m/2000 r.p.m
キャブレター型式 ソレックス30 PICT
動力伝達系統
乾燥単板式クラッチ・フルシンクロ4段ギヤボックス・同一ハウジング内にベベルギヤ
スイングアクスル・クラッチペダルの遊び:10-20mm
変速比:第1速 3.8:1 第2速 2.06:1 第3速 1.26:1 第4速 0.89:1 後退3.61:1
減速比:4.125:1

1946年には1万台のフォルクスワーゲン・タイプ1が生産された。
1947年には、オランダ向けを第一陣として国外輸出が始まった。最大の市場となったアメリカへの進出は1949年である。またその後、ドイツ系移民が多くフォルクスワーゲンが一定のシェアを持っていたブラジルの現地法人である「フォルクスワーゲン・ド・ブラジル」やメキシコでの生産も開始された。
以後のフォルクスワーゲン・タイプ1の歴史は、破竹の勢いと言うべきものであった。とにかく頑丈で悪路や厳しい気候でも酷使に耐え、材質・工作が優秀で整備性も良く、大人4人を乗せて経済的に高速巡航できるこの車の性能・品質は、1950年代に至ってもなお世界各国の新型小型乗用車に引けを取らないものであった。アウトバーンでの走行を念頭に置いた、100km/h以上で高速道路を連続巡航できる車、というポルシェとヒトラーの進歩的コンセプトは、戦後の先進各国におけるハイウェイ時代到来に、見事に適応したのである。アウトバーン整備とフォルクスワーゲン開発の推進は、常に独裁者としての悪名が先行するヒトラーの施策の中では、戦後これを実効的に継承発展できたことで、後年まで成功と見なされる事績の代表例となった。

輸出市場でも、その性能と共に、進出した各国で緻密に構築された質の高いディーラーサービス網が、ユーザーからの信頼をより一層高めた。1955年には累計生産100万台に到達、更に工場の増設・新設を繰り返して、1964年には累計生産1,000万台に到達した。

改良は年々為され、エンジンや電装の強化(1960年代中期以降、6V電装を12Vへ変更)、細部の形態変更などが繰り返されている。排気量は当初の1.0Lがすぐ1.1Lへ拡大、のち1954年からは1.2Lとなるが、1960年代に入ると輸出モデルを中心に1.3L、1.5Lへの移行が進み、モデル後期には1.6L型も出現している。

アメリカではセカンドカーとしての需要が高かったが、特に合理性を重んじる知的階層からは「大型車へのアンチテーゼ」として愛用され、一時はデトロイトの大型車と正反対な、反体制の象徴の一つとしても扱われた。理知的なユーモアに溢れる優れた広告戦略も好評を博したが、その広告代理店がドイツ系ユダヤ人のウィリアム・バーンバック率いるDDB(ドイル・ディーン・バーンバック)社であったことは、フォルクスワーゲンの生い立ちからすれば歴史の皮肉とも言える。
wikipedia
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1970年代 VW1303S カブリオレ
レストア車 こちらは127万 そろそろスピードではなくゆっくり風を切って景色を眺めながらドライブもいい歳になってきたかな。

1303S Sportmatic諸元
型式 AD13
年代 1972.8~75.7
LxWxH 4110x1585x1500mm
軸距 2420mm
車両重量 950kg(日本仕様)
車両総重量 1225kg
定員 5名
原動機 4サイクル空冷水平対向4気筒OHV 型式AD
内径x行程 φ85,5x69,0mm
排気量 1584cc
燃料供給機 SOLEX34PICT-3 1基(デュアルポート)
圧縮比 7,5:1
最大出力 50bhp/4000rpm(DIN)
最大トルク 10,8kg-m/2800rpm
変速機 3段セミA/T
変速比 ロウ:2,059
1速:1,261
2速:0,889
後退:3,071
最終減速比 4,125
サスペンション 前:マクファーソンストラット+コイルスプリング
後:ダイアゴナルリンク付きトレーリングアーム+トーションバー
ブレーキ 前:ドラム(ディスク)
後:ドラム
ホイール 4,5Jx15
タイヤ 5,60-15、6,00-15、ラジアル155SR15、175/70R15、165/80R15
空気抗力係数 Cd=0,49以下
燃料オクタン価 91+(RON)
燃費 10,42km/L

1960年代以降は、設計の古さによるスペース・ユーティリティの悪さや、リアエンジンとスイングアクスル式独立懸架による高速走行時の不安定さ、空冷エンジンの騒音などが問題視されるようになる。しかし、フォルクスワーゲン社は決定的な代替車種開発に失敗し続けて1970年前後は経営困難に苦しみ、1974年に前輪駆動方式の本格的な代替車「フォルクスワーゲン・ゴルフ」を世に出すまで、前時代化したビートルを主力車種としたまま、改良のみでしのぐことになった。

1967年には、電装系がそれまでの6Vから、当時既に一般的であった12Vへ変更された。外観では、フロントライトが直立した形状になった。

翌年の1968年には、北米市場を意識した大幅な変更が行われた。衝突安全性を高める為に前後バンパーが強化され、テールライトも大型化された。この年より、スポルトマチックと呼ばれるセミオートマティックのモデルが追加された。

スポルトマチックと北米向けモデルに関しては、リアがダブルジョイント式ドライブシャフトとなり、高速安定性が向上した。

1970年には、71年モデルとしてポルシェ式のトーションバー式トレーリングアームに代わり、操縦安定性を改善するストラット式サスペンションをフロントに備えた1302系が発表された[11]。サスペンションのみが大幅近代化されながら、外観は在来型ビートルから大きな発展はなかったが、ラゲッジスペース拡大を若干ながら実現している。この系列は1973年には、フロントウインドーのカーブドグラス化、テールライトの更なる大型化などのボディ形状変更で1303系に移行し1975年まで生産された。しかし、これらストラットサスペンション系列と並んで、ポルシェ式サスペンションを持つ在来モデルも継続生産された。

この間、1972年2月17日には、累計生産1500万7034台に到達し、フォード・モデルT(1908~1927)の1500万7033台という生産記録を追い抜いた。

ゴルフを始めとする1970年代の前輪駆動車へのシフトで、本国ドイツのヴォルフスブルク工場では1978年を最後に製造が終了した。

その後も、長期量産によるコストダウンで需要が高かったメキシコでは生産を継続、ブラジルでも一時生産中止していたビートルを生産再開した時期があった。これらは現地での国民車として広く用いられ、他国のマニアからも「新車のビートル」として並行輸入ルートなどで珍重された。

2003年7月30日、メキシコ工場でタイプ1の最終車両が完成し、総生産台数約2153万を達成して生産終了となった。発表以来65年間に渡る製品寿命を保った四輪乗用車は、歴史上、他に存在しない。
wikipedia


Today's CD
チャイコフスキー : ヴァイオリン協奏曲
スターン(アイザック)
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内容(「CDジャーナル」データベースより)
50年代後半から70年代前半にかけて,スターン(1920年生)壮年期の記録。ヴァイオリニストとしてはこの時期が頂点だった。やや脂っ気の多い艶やかな音色,安定した運弓,運指。安定感抜群のオーケストラ共々,誠にオーソドックスな名演。
by takechihome | 2011-04-09 22:14

by takechihome