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The Exhibition Rembrandt

3月12日から6月12日まで レンブラント 光の探求・闇の誘惑 東京展
Fondation Beyelerで自画像を観て以来、レンブラントには興味を持っていた、先月松山リブアートギャラリーで中世版画展が催されたところだけに、今回の展覧会は興味を持って拝見した。
版画では、レンブラントが初めて和紙を使って刷ったことも詳しく解説されていた。
フェルメールの秀逸な光の明暗より、温かみのある光の明暗表現である。

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1639年 エッチング、ドライポイント 20.5×16.4cm Museum Het Rembrandthuis,Amsterdam
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中央の円柱と構造体を取り込んだ、大胆なトップライトは、この吹き抜け空間において主役であり、自然光での展示を可能にし、この建築の中心であることの認識が来館者に分かるように意図している。
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まさしくコルビジェの階段と手すり
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前川國男建築事務所の設計した増築部の吹き抜け



日本初の免震レトロフィット
《国立西洋美術館》の免震レトロフィットは一九九七年に完了したものだが、その後にも、多くの現代建築に免震構造は採用されてきている。さらには《セラミックパークMINO》(磯崎アトリエ、川口衛構造設計事務所、二〇〇二)や「SFS21(やじろべえ型免震構造)」(第一工房、東京工業大学ほか。計画案)のように、免震機構自体を意匠表現として利用するものまで登場している。しかし本質的には免震は不利な条件を除去するための機能であり、《プラダ ブティック青山》ではデザイン着想を実現するための基盤として免震構造が採用されている。そしてその意味において《国立西洋美術館》における免震の、先駆けとしての成果は実に大きい。
近代建築の自由を提唱したル・コルビュジエの設計による《国立西洋美術館》は、増築に際し、現行の耐震基準によってその自由の象徴たるデザインを保てなくなる危機に晒された。そこで登場したのが「免震レトロフィット(保存改修)」の考え方である。人、建物、内容物のすべてを高度に保護しなければならないこの特別な状況は、コストや技術のハードルを乗り越えていくだけの必然性を持っていた。国内における免震レトロフィットの第一号として、これほど相応しい物件はなかったのではないだろうか。ここで用いられた積層ゴム式免震装置の基本概念はル・コルビュジエの母国フランスで生まれたものであるらしいが、それもまた象徴的である。
レトロフィットの施工プロセスの説明はここでは省略するが[図2]、この計画の重要性は既存の建物に後から免震装置を設置するという技術的な特殊性のみではない。むしろ「あるデザインの実現のため」という考えによって免震構造が採用されたことこそ特筆に値する。結果としてこの改修においては、免震装置の存在が建物の外観に影響を及ぼさないための技法が必然的に追求されたのである。先述したように免震建築におけるエクスパンションは、機能的要求が厳しいゆえに、そのまま作るとしっかりと意匠に影響してきてしまう。ここでは、私が実際に多くの事例を調査したなかでも、最も意匠・機能のバランスが優れていると思われたエクスパンションの二大ディテールが採用されている。「はねあげパネル方式」と「砂利敷き方式」である(名称は私が勝手につけたもので、正式名称ではない。またこれらの原理はここで初めて考案されたものではないと思われる)。よくあるエクスパンションの発想は「水平に動くものを上下にかわす」ものであり、階段や犬走りなどの段差がある部分では、比較的容易にシンプルなエクスパンションを作ることができる[図3]。デザイン上の意図やバリアフリーの要求によって平滑な面にエクスパンションを設けなければならない場合、この段差を薄く形成するためにステンレス板が用いられたりもしていたのだが、「はねあげパネル方式」[図4]は、通常、面一に納まっている床パネルが、地震時には押されてはねあげられることによって上下にかわすものである。この方式を発展させたものが現在ではエクスパンション・メーカーによって製品化されてもいるが、シンプルな機構ゆえに現場ごとの製作も容易である。「砂利敷き方式」[図5]は変位の逃げの部分を砂利敷きとするもので、通行する場所にはあまり適切ではないが、ほぼ完全にエクスパンションの存在が消去され、通常の雨落しや砂利敷き庭としか認識されなくなる。これらのディテールはその後の免震建築でも工夫を重ねて使用され、そのような技術の蓄積が、現在、意匠設計家にとっての免震建築の敷居を低くしているのである。
10+1DATA BASEより
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子規は、明治時代のはじめに日本に紹介されて間もない野球を愛好し、明治19年から23年頃にかけて上野公園内で野球を楽しんでいた。子規の随筆「筆まかせ」には、明治23年3月21日午後に上野公園博物館横空き地で試合を行ったことがきされており、子規はこのとき捕手であったことが分かる。子規の雅号のひとつに、幼名ののぼるにちなみ「野球(のぼーる)」という号がある。
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今夜の月 LUMIX GF1+NIkon Reflex500mm
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by takechihome | 2011-05-17 22:26