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弓削島 しまの大学 淡路島 ノマド村

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http://www.shimanodaigaku.org/about/
「しまの大学」とは、地域の人たちの抱える困りごとや夢を、地域の中の人だけではなく、地域の外の人や会社などと協力して、一緒に解決したり、実現したりしようという取組です。

しまの大学COY (最高執行用務員)兼頭一司さんと しまの大学DHR(代表理事)村上律子さんに、島の大学の取り組みを聞く。村上さんからは、島の人たちが忘れ去ってしまった大切なもの、短なものから、島の歴史文化まで掘り起こし、きちんと記録に残す運動をされている。摘み菜の取り組みは、スローフードにもつながる活動で、しまのカフェでも料理メニューに実践されている。
兼頭さんからは、しまの大学の取り組みについて、組織の運営、活動のお話をしていただきました。
瀬戸内の島々にはそれぞれ固有の文化、歴史がある。それらをネットワークとして繋いでいくことも視野にいれているようだ。
それぞれの島で、このような活動が広がり繋がっていけば、かつての瀬戸内海洋文化の見直しにも発展することになるであろう。次の世代の若者が、過去からの文脈を引き継ぎ、島々で独自の文化を築いて行けるよう頑張って欲しい。

村上律子さんのプロフィール
1948年、愛媛県上島町(旧弓削町)生まれ。38年間行政に携わり早期退職。現在、ゆげ女性塾、おいでんさいグループ、株式会社しまの会社、NPO法人弓削の荘等でも活動。1993年、ゆげ女性塾を15名で発足し、1997年地元お年寄り300人に聞き取り調査を実施し「弓削民俗誌」を翌年に刊行。2004年2月に弓削島の16女性グループでおいでんさいグループを結成。直売所の運営と特産品の開発、体験交流、公的支援の行き届かないお年寄りへのボランティア活動を実施。しまの主婦たちで出資し、2008年10月株式会社しまの会社設立。「摘み菜」を中心にした活動を展開。
兼頭一司さんのプロフィール
1971年、愛知県生まれ。愛媛県周桑郡丹原町(現西条市)育ち。東京でのサラリーマン生活を経て、2008年5月、弓削島へ家族を連れて移住。同年10月に、島民60名の協力を得て、島民の島民による島民のための会社、「株式会社しまの会社」を設立。現在、同社代表取締役。妻と息子(4歳)の3人家族。好物は弓削産ヒラアジの一夜干し。
ホームページから引用
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http://www.nomadomura.net/nomadomura/nomadomura.html
弓削島から山陽道を飛ばして予定時間1時間半遅れて、ノマド村に到着。途中単車に乗った外人さんとすれ違う。予想通り茂木さんのご主人のヴェルナーさんだった。
 夕飯時をもうとっくに過ぎてしまっていたが、茂木さんは落ち着いた面持ちで、丁寧にスイスから引っ越してきた時からのいきさつを説明していただいた。なぜ、この学校(旧生穂第二小学校)を選んだんだのかは、知人の紹介でとおっしゃっていたが、2階建てで、校舎の南側には程よい広場があり、茂木さんご家族が生活の拠点にしながら、活動するにはちょうど良いスケールのように思った。カフェは、職員室と保健室を抜いて改造し、知人の東京の建築家、地元の建築事務所、左官職人の久住さんたちが関わって、味わいのある空間に仕上がっていた。
茂木さんからは、最近の活動についても色々興味あるお話を聞かせていただき、その活動は写真家としてこの村に住み着く上での覚悟のようなものも感じ取りました。

みんなノマド
ノマドとは、もともと遊牧民や移動民という意味ですが、
遠い昔の祖先をたどれば、誰もがみな狩猟の民、ノマドでした。
だから、どんな人の記憶の底にも、ノマドの心が眠っているはずです。
そしてここは、そんなみんなのノマド村。

活動方針
4年間スイスで展開されたアートプロジェクトを運営したジュパジュカンパニーは、日本の淡路島に拠点を移し、「ノマド村」と改名して、新たな活動を開始。ノマド村とは、移動民と定住地という一見対立した概念だが、個人的な場の所有や利益の蓄積を目的とせず、多彩な人々がこの場を共有活用し、流動的に変化し続ける、開かれた場の創造をめざすことで、ノマド村と命名した。地域の活性化と新たな観光地として貢献すると共に、国内外から注目を集める、未来型の生活スタイルの模索・提案を事業目的とする。


団体の中心メンバーは、ドイツとスイスで活動してきた写真家、映像作家の茂木綾子、ドイツ人映像作家のヴェルナー•ペンツェルが携わり、地域の人々や国内外からの参加者、訪問者たちと、共にこの場を作り上げる、ソーシャル・スカルプチャーとして活動する。

茂木綾子
1969年北海道生まれ。東京藝術大学デザイン科中退
92年キャノン写真新世紀荒木賞受賞
97年よりミュンヘンへ移住
06年よりスイスのラ・コルビエールに暮らし、同地にてジュパジュカンパニーを立ち上げ「Laboratoire Village Nomade」アートプロジェクトの企画、運営を務める
06年4月に渋谷ユーロスペースで「風にきく」上映
06年雑誌コヨーテ誌上で「caravan lost」 を連載
07年童話写真集「どこにいるのシュヌッフェル?」四月社より出版
09年映画作品「島の色静かな声」渋谷シネマアンジェリカ、那覇桜坂劇場、京都シネマ、大阪第七劇場、その他各地にてロードショー(silent voice LLP よりDVDとカタログ販売中)
09年より、所属ギャラリー MISAKO&ROSEN  東京
09年より淡路島の旧小学校へ移住し、アーティストコミュニティー「ノマド村」を、ヴェルナー ・ペンツェル、下村美佐と共に立ち上げる
2010年雑誌コヨーテ誌上で「caravan lost」 を再び連載
2010年「beyond beyond」写真展をMISAKO&ROSENにて開催
2010年「テシゴトノオト」展(淡路島アートフェスティバル2010/アサヒアートフェスティバル2010)をノマド村で開催。

ヴェルナー・ ペンツェル
1950年生まれ。ドイツの南部の地方で育つ。
60年代後半は音楽と詩作に没頭、70年代初頭より映像制作を始める。
ブラジルの劇団OFICINAと協働し、ミュンヘンフィルムアカデミーで学ぶ。
南米、北米、インドと日本を旅する。[BAGABUNDEN KARAVANE] (1980)、[ADIOS AL ODIO] (1986)、他の映像作品を制作した後、87年にニコラス・ハンベルトと共に「シネノマド」を設立。シネノマドの作品としては[STEP ACROSS THE BORDER] (1989)、 [MIDDLE OF THE MOMENT] (1995)、[THREE WINDOWS] (1999)がある。この他にも監督、脚本、制作、撮影を手がけた作品が多数あり、ヨーロピアンフィルムアワードなど受賞歴も多く、ヨーロッパ各国の美術館でのビデオインスタレーションも多数。
06年スイスのラ コルビエールにて、茂木綾子らと共に、ジュパジュカンパニーを設立。
09年淡路島に拠点を移し、アーティストコミュニティー「ノマド村」を、茂木綾子、下村美佐と共に立ち上げる。 2010年「テシゴトノオト」展(淡路島アートフェスティバル2010/アサヒアートフェスティバル2010)をノマド村で開催。
ホームページから引用

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A&A事務所屋根遮熱断熱塗料を塗布 放射温度計の数値が示すように、錆止めの表面と遮熱塗料塗布後の数値は、10度以上の差がついている。59.6度と71.8度の差!
JAXAのロケットにも使われている塗料の技術をとりいれた優れもの
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Today'sCD
Violin Concertos (Hybr) (Ms) [Hybrid SACD, SACD, Import, from US]
Hilary Hahn
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Amazon.co.jp
最高の若手ヴァイオリニストのひとりとして、押しも押されもせぬ存在であるヒラリー・ハーン。早くから輝くばかりの才能を感じさせた彼女は、努力する天才でもあった。23歳になったハーンは、豊かな表現力を持つ素晴らしいヴァイオリニストへと成長を遂げている。今回の録音でハーンが取り上げたのは、バッハの「ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 BWV1041」と「同第2番ホ長調 BWV1042」、さらに「2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV1043」と「オーボエとヴァイオリンのための協奏曲ハ短調 BWV1060」。非の打ちどころのない演奏技術、際立った美しさ、くっきりとした音色を満喫できるアルバムだ。
ハーンの演奏には崇高さと節度がある。そのため、「モダン」な響きとヴィブラートにもかかわらず、サウンドはクラシカルで自然な清潔さを感じさせる。これとは対照的に、オーケストラのサウンドは美しいがあきれるほどに派手で、どうにも場違いな感じだ。が、2人の優秀な共演者とハーンの息はぴったりで、音色もスタイルも相性抜群。比較的なじみの薄い曲である「オーボエとヴァイオリンのための協奏曲」は、とりわけ見事な演奏となった。

音楽に対する真摯で思慮深い取り組み方とは裏腹に、残念ながらハーンは「指がついていく限り速く弾く」という今日の演奏家たちのトレンド(おそらくジェット時代を反映したもの)に流されてしまっている。速い楽章はものすごいスピードで演奏されるため、楽曲の持つ優雅さ、品格、魅力が台無しになり、わざとらしいアクセントや、攻撃的でやたらと気ぜわしい弾き方ばかりが目立ってしまう。品位に欠ける演奏家ならば、単に器用さを誇示したいだけと思われかねないところだ。しかし、緩徐楽章になると、ハーンの音楽性、表現力、バッハに対する思い入れ(ソニーから無伴奏ヴァイオリン曲集『Hilary Hahn Plays Bach』もリリースしている)がハッキリと現れる。穏かでゆったりとした演奏は、音形を注意深く描き出しており、豊かな情感をたたえ、どこまでも美しい。(Edith Eisler, Amazon.com)
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by takechihome | 2011-06-28 19:18