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my life

老舗 ふなや

道後温泉ふなやは、江戸時代寛永年間より日本最古の温泉、道後温泉に隣接し営業。
ふなやは、道後の湯を愛した夏目漱石をはじめ、正岡子規、高浜虚子ら文人に親しまれ、その足跡は作品によって残されている。夏目漱石も「はじめての鮒屋泊まりをしぐれけり」と詠んでいて文人墨客に愛されていた宿。

庭は中央に御手洗川が流れ、詠風庭に名残りを残し四季折々の表情をもっている。
ホタルも6月には出るそうです。水量は、上流の関で調整をしている。

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その昔、昭和天皇がお泊りになられた洋間を大理石の暖炉、
ステンドグラス器類もそのまま再現し、移築したもの。
大正時代に、旧松山藩主の子孫久松定謨(ひさまつさだこと)伯爵が建てた萬翆荘を設計した木子七郎が手がけた。
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中央照明の天井部のメダイオンもきちんと修復しているようである。
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ステンドグラスは、萬翆荘のステンドを手がけた、木内真太郎の可能性がうかがえる。


木子 七郎(きご しちろう、明治17年(1884年)4月30日 - 昭和30年(1955年))は、大阪を拠点に、多くの公共建築などの設計を手がけた建築家。とりわけ、妻 カツの父 新田長次郎(新田帯革製造所(現ニッタ)創始者)の出身地である愛媛県に多くの名建築を残した。

経歴
旧木子七郎邸(大正年間竣工・大阪市中央区)
1884年(明治17年)宮内省内匠寮技師の木子清敬の四男として京都に生まれる(兄に、同じく建築家の木子幸三郎がいる)
1896年(明治29年)高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業。
1901年(明治34年)高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。
第四高等学校を経て、東京帝国大学工科大学建築学科に入る。
1911年(明治44年)東京帝国大学工科大学建築学科を卒業し、大林組設計部技師として来阪。
1913年(大正2年)大林組を退職し、木子七郎建築事務所を開設する。

その後、日本赤十字社病院嘱託、日本赤十字社大阪支部病院嘱託、合資会社新田帯革製造所嘱託なども務める
1937年(昭和12年)フランスより、レジオンドヌール勲章を授与される。
1955年(昭和30年)逝去。
主な作品
旧山陰合同銀行出雲支店(1920年、旧簸川銀行本店、島根県出雲市)
萬翠荘(旧久松伯爵本邸、1922年、愛媛県松山市)
石崎汽船(1925年、松山市、登録有形文化財)
旧新田邸(現 松山大学温山記念会館、西宮市、登録有形文化財)
愛媛県庁舎(1929年、松山市)
鍵谷カナ頌功堂(1929年、松山市、登録有形文化財)
松江商工会議所(1929年、島根県松江市)
新田ビル(旧新田帯革製造所東京出張所、1930年、東京都中央区、現存しない)
新潟県庁舎本館(1932年、新潟市、現存しない)
日本赤十字社大阪支部病院(1934年、大阪市天王寺区、現存しない)
関西日仏学館(1936年、原案:レイモン・メストラレ(Raymond Mestrallet:フランス人)、設計監督:木子七郎、京都市左京区、登録有形文化財)

Today's CD
ショパン:ピアノ協奏曲第1番&第2番
ピリス(マリア=ジョアオ)
若きショパンによりつくられたピアノ協奏曲の作品集。ショパンを得意とする女流ピアニストもピリスが作品のもつロマンティックさや繊細さを見事にあらわしている。
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by takechihome | 2011-07-10 21:13

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