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DAY BY DAY

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my life

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永山優子「Man is...」

写実絵画界のリーダーである野田弘志氏は著書『リアリズム絵画入門』のなかで、「写実絵画とは物がそこに在る(存在する)ということを描くことを通してしっかり確かめようとすること。物が存在するということのすべてを二次元の世界に描き切ろうという、一種無謀ともみえる絵画創造のあり方。物がそこに在るということを見える通りに、触れる通りに、聞こえる通りに、匂う通りに、味のする通りに描ききろうとする試み」と述べています。

Today's CD
Konitz Meets Mulligan
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キアヌ・リーブス、サンドラ・ブロック主演の、イルマーレ(LakeHouse)。その一節で流れるALMOST LIKE BEING IN LOVE7曲目に収録
チェット・ベイカーも参加している、ジェリー・マリガン・カルテット(ピアノを欠くため)との共演である。
# by takechihome | 2011-01-17 22:07
「母たちの神」_e0203309_21594174.jpg

 NHKの日曜美術館で最近取り上げられ、前々から気になっていた本’比嘉康雄写真集「母たちの神」’が、ジュンク堂から届く。「母たちの神」は、奄美大島から与那国島までの4諸島の祭祈を撮った162点の作品からなる。

人々は、魂の不滅を信じ、魂の帰る場所、そして再生する場所を海の彼方のニラーハラーに想定し、そこから守護神を持って島の聖域に立ち返る母神の存在に守護を頼んでいる。この「母たちの神」は、「生む」「育てる」「守る」という母性の有り様の中で形成された、つまり、内発的、自然的で、生命に対する慈しみがベースになっている「やさしい神」である。この母性原理の文化は、父性原理の文化がとどまることを知らず直進を続けて、破局の危うさを露呈している現代を考える大切な手がかりになるであろう。「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」前書きより
 
 沖縄は、JIA愛媛地域会の会長時代に、沖縄全国大会で始めて訪れた。
メンバーより一日早く付いた私は、首里城や歴代王の墓、町を散策、気候風土、植生ももちろん本土とは異なり、歴史的遺産を見ても本土の建築とは相違点が多い。何か文化的にも大きく違う民族が住み着いた島であると感じた。
 
 首里、那覇は別として儒教も仏教も庶民に根付くことはなかった。女性中心の祭祈が琉球の島々にだけ残っているということと、そのことは深く関わっていると思われる。本土にある女人禁制の風習は、沖縄ではまれに見られるものの、御嶽は母たちの原郷であり女性だけが入ることができる。男性は「禁制」である。日本文化と沖縄文化の大きな違いである。
比嘉氏の語る「母性」とはまさに他では失われた原初的「母性」ではなかろうかと思う。
安里英子の書評より

仲松弥秀著の「古層の村」の結語で、「沖縄にはいまだに神の村々が残っている。しかし、悪貨は良貨を駆逐する。沖縄の島々にも、文明などと称する仮想悪魔が濤々と押しかけてきた。やがて、人を見たら盗人と思えの島々と化して行くのであろう。島の神々は恋しくも一時姿をくらましていくであろうが、でも何時の日にか再び!」というのがある。
 
 普天間を県外にと懇願する仲井眞知事、アメリカ軍の極東防衛の要は日米安保上、アメリカの要求も理解できる。しかし、「母たちの神々」が守る神聖な島の背景を思うときもうこれ以上という気持ちも沖縄県民だけではないと思う。



沖縄についての記述
紀元前から西暦1000年くらいまでの沖縄の歴史は、謎に包まれていて日本や中国の書物に断片的に記されている情報からしか読み取ることができません。

神話的な言い伝えになりますが、沖縄の始まりは久高島にあると言われています。久高島に上陸したアマミキヨ、シネリキヨの二柱の神が土地を造成し、島となり、それから琉球開闢七御嶽をつくり、島に人間を放ったとされた伝説です。

沖縄が歴史に登場したのは610年のことです。610年に沖縄を探検した随の海軍の提督は、時の皇帝煬帝に「琉求人は勇敢で戦好き。負けると和を乞い、戦死者を収容して共に食う」と報告したことが中国の書物に残されています。この情報は遣隋使であった小野妹子にもつたわり、「琉求は食人国(しょくじんこく)」と大和朝廷に伝えられたのです。

文字が「琉求」となっているので、これは沖縄ではないという説もありますので、真相は定かではありません。また、人肉食習慣(カニバリズム)は現代では信じられないことですが、古代世界では「死んだ者を食べると、その人は食べた人の中で永遠に生きつづけると言う信仰」は世界各地で見られました。神聖な儀式とされていたのです。

日本の国史に初めて登場したのは753年のことです。遣唐使が初めて沖縄に流れ着き、住民の発音から「阿兒奈波(おこなは)」と名付けられました。以降、遣唐使の船は沖縄に度々漂着することとなり、「大和」と「唐」の存在を沖縄に知らしめることになりました。

Today's CD
Trio Music Live in Europe: Touchstones Series
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# by takechihome | 2011-01-04 23:26
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Leica M8 Carl zeiss C sonner T1.5/50mm ZM
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この社は明治43年(1910)に上三谷村に村社中御前五社大明神社と若皇神社と無格社金刀比羅神社の三社を合祀した。従って祭神は天御中主尊、天照大御神ほか10神となっている。

 今年は、伊予市の文化施設、郡中町物語間、市民会館に替わる劇場、音楽、芸能、演劇、アート工房を備える芸術村、図書館の基本構想とその運用についての計画案を取りまとめなければならない。
 
 閉塞感の抜けきれないままで手をこまねいていては。市民が文化を共有できる伊予市、文化を切り口に新たなコミュニティーの場を創るチャンスは、この機会しかないといってもいい。
 現存する町屋、文化資産、歴史的資産を生かしたまちづくりの取り組みが必要である。
 次の世代のためにも、われわれが何を残せるか。
市民が文化に目覚め、文化を通じて生きる喜び、生活に潤いを感じる日々を、ぜひとも取り戻さなければならない。

Today's CD
グリーグ:交響曲
ヤルヴィ(ネーメ),エーテボリ交響楽団
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交響曲 ハ短調(Symfoni)は、エドヴァルド・グリーグが作曲した唯一の交響曲。生前には未出版に終わった。「作品番号の無い作品カタログ」ではEG.119。

1863年から1864年にかけて作曲され、デンマークの作曲家ニルス・ゲーゼの勧めを受けて、コペンハーゲンでこの交響曲を書いた。第1楽章を除く3つの楽章は1864年にコペンハーゲンのコンサート・ホールで演奏され、グリーグ自身も翌1865年に中間の2つの楽章を、また1867年にはクリスチャニア(現オスロ)で第1楽章を除く3つの楽章を指揮した。さらに1865年と1867年にグリーグの故郷ベルゲンで演奏された。しかしグリーグ自身はこの演奏は聴いていなかった。

その後、1869年に中間の2つの楽章を「2つの交響的作品」作品14のタイトルでピアノ連弾用に編曲した。だが、ヨハン・スヴェンセンの民族的要素の濃い「交響曲第1番」(1871年初演)を聞いたグリーグは、自身の交響曲をドイツの影響が色濃いとして、「決して演奏してはならない」とスコアに書き込み、引っ込めてしまう。

死後、未亡人のもとにあった交響曲の自筆譜は、のちにベルゲンの公立図書館のもとに移され、1981年にカルステン・アンデルセン指揮・ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団により蘇演されるまでの間、眠ったまま保管されていた。現在は「グリーグ全集」の中で出版され、公に演奏できるようになっている。

曲の特徴としては、メンデルスゾーンやシュポーア、そしてシューマンの影響を受けていることがこの作品に示されている。

ちなみに、第1楽章は14日間で作曲し、オーケストレーションをしたとグリーグ自身は述べている。
# by takechihome | 2011-01-03 15:38
高梁市立吹屋小学校(たかはししりつふきやしょうがっこう)は岡山県高梁市にある市立の公立小学校。

2009年度現在の児童は5人。 現役で使用されている日本最古の小学校校舎として有名。岡山県の重要文化財に指定されている。


開校は1873年で、1899年に現在地に移転した。1900年竣工の西校舎・東校舎(木造平屋建)と1909年竣工の本館(木造2階建)とで構成される。

江戸時代から戦前にかけて日本三大銅山の町として、さらに江戸時代末期からはベンガラの日本唯一の産地として繁栄した「吹屋」のいわば絶頂期に建設された小学校校舎である。

標高550mの山嶺にある小さな集落には不釣合いともいえる大きな規模を持ち、折上式天井などの贅沢な意匠、100年を経ての現役使用を可能とする部材・構造であることなど、当時の吹屋を象徴する建造物ともいえる。夜間はライトアップされる。

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Leica M8 Summicron M28mm/f2.0 ASPH
# by takechihome | 2010-12-11 22:21
標高500mの山嶺に江戸時代から明治にかけて中国地方筋第一の銅山町に加え、江戸時代末期からベンガラという特産品の生産が始まり、幕末から明治にかけて「ベンガラの町」として全国に知られました。昭和49年12月岡山県指定 「吹屋ふるさと村」に、昭和52年5月文化庁選定 国の重要伝統的建造物群保存地区として選ばれ、ベンガラ格子に石州瓦の商家・町屋の町並みを多くの観光客が訪れるようになりました。横溝正史の推理小説でおなじみの「八つ墓村」のロケ地として、昭和52年には渥美清、平成8年には豊川悦司が扮する金田一耕介が訪れなぞ解きに挑戦しました。また、「獄門島」や「裸の大将」などの撮影も行なわれ全国的に知られました。
Fukiya Furusato Village
Fukiya area has made rapid progress by manufacturing iron sulfate.And these have been designated ”important traditional structure of Japan”.Allstructures colored reddish brown are as beautiful as if we were in another world.

吹屋の町並み 
吹屋ふるさと村のメインストリートにあたる道沿いに、ベンガラ格子に赤銅色の石州瓦が印象的な堂々とした商家が軒を連ねています。
 江戸時代から明治にかけて中国筋第一の鉱山町に加えて江戸時代末期からベンガラという特産品の生産が重なり、当時の鉱業地として大いに繁昌した面影です。
 幕末から明治にかけて、吹屋はむしろ「弁柄の町」として全国に知られていました。しかも吹屋街道を拠点として、銅や中国山地で生産される砂鉄、薪炭、雑穀を集散する問屋も多く、備中北部から荷駄の行列が吹屋に続き旅籠や飲食店の建ち並ぶ山間の市場として吹屋の繁昌を保っていました。
 これらの銅や鉄、弁柄は吹屋から更に馬に負わされて成羽に運ばれ、それから高瀬船で玉島港に集められ、上方や西国へ輸送されたのです。江戸時代から成羽や玉島の繁昌は、吹屋の鉱業に負うところが大きかったと言われています。

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旧片山邸(高梁市重要文化財) TEL0866-29-2222(観光協会)/入館料300円(郷土館共通券)/旧片山邸は、宝暦9年(1759)の創業以来、200年余年にわたって吹屋ベンガラの製造・販売を手がけた老舗です。その家屋は、弁柄屋として店構えを残す主屋とともに、弁柄製造にかかわる付属屋が立ち並び、近世弁柄商家の典型として高く評価されています。赤い石州瓦で葺かれた二階建(一部三階建)の主屋は、江戸時代後期に建てられた切妻造り平入の主体部に、江戸時代末になって仏間が加えられ、明治時代にはさらに入母屋造妻入の座敷が増設されています。通りに面した外観は、一階に腰高格子を飾る袖壁や繊細な出格子を配し、二階は海鼠壁で仕上げていて、近代風の装いとなっています。

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Leica M8 summicron-M 28mm/f2.0 ASPH
郷土館 TEL0866-29-2205/入館料300円(旧片山邸共通券)/5年の歳月をかけて明治12年に完成された吹屋商人の家です。妻入の入母屋型で塗込造りとベンガラ格子の建並ぶ中でも代表的な建物の一つで、石州大工の手により建てられ、屋根は石州本焼で葺かれ、ケヤキ、クリ、桜など代表最上級の用材がふんだんに使われ、その建築のきめ細やかさには目をみはるものがあります。
Fukiya Historical Musenm Explore the nooks and crannies of this well-preserved merchant's home and you can appreciate the way of life in 19th Century Fukiya.
# by takechihome | 2010-12-10 20:08

by takechihome